【博多店:絵画買取】田崎広助 油彩
さて、皆さまは赤富士というものをご存知でしょうか?
現在のような夏から初秋にかけて、雲や霧と朝陽の関係から普段は青色に見える富士山が、その名の通り赤く見える現象のことをいいます。
そんな赤富士を、力強く豪胆ながらも、素朴で色鮮やかに描いた洋画家・田崎広助について書かせていただきます。
多感な幼少期
田崎広助(本名・田崎広次)は1898年福岡県、現在の八女市立花町で生まれ、大正から昭和にかけて数々の賞を受賞したり、美術団体の創立に関わったりと多くの活躍・貢献をしてきました。
彼が彩る大胆な配色と様々な山に焦点を当てた豪快な構図は、見る者をその中へ引き込む魅力的でユーモアにあふれた暖かい作品へと仕上げています。
幼い頃、母親が嫁入りの時に持ってきた桐ダンスに模様を刻んだことが、彼が画家の道へと進むきっかけになったとされていますが、私は、彼自身を囲む雄大な大自然の中を縦横無尽に駆け巡り、自然と一体になったような幼少時代を送ったからこその大胆なタッチと色使いで彼の世界を描くことができたのではないかと思います。
山を描き続けた田崎
冒頭で赤富士のお話をしましたが、実は彼の作品の原点とも、また代表作ともいえるのが「初夏の阿蘇山」という作品です。彼が富士山を好み、絵を描き始めたのは晩年で、冒頭で述べた赤富士を描いた田崎広助はもっと後のことになるのです。
では、なぜ「阿蘇の田崎」と呼ばれる彼を差し置いて、赤富士を描いた彼を冒頭でお話ししたのか。それはとても個人的な理由になりますが、私は富士を描く作家が大好きなのです。
しかも、彼の場合ですと、富士で有名な川瀬巴水や萩原英雄のような青富士や背景を淡く儚げに彩ったものではなく、赤富士という限定された条件の下で発生する、幻想的なまでの、ある種異質ともいえる富士の一面を切り取ることで、更なる魅力を放っているように感じます。
もちろんですが、富士だけでなく阿蘇山、浅間山などの作品もとても素晴らしいものです。
独特の画風で、大自然と主題を巧みに調和させるだけでなく、主張したいものを一際輝かせているのが、私の思う、田崎広助という人物です。
富士というものは日本の象徴のようなものであり、その重要性は日本人として誇りに感じるものでしょう。そして、その富士の価値をより高めてくれる、「赤富士の田崎」(この場ではあえてそう謳います)は、確信をもって日本にいなくてはならない作家だったといえるでしょう。
さいごに
福岡県出身である田崎広助と同じ環境下で鑑定士として働くことができることを、大変嬉しく、また大変光栄に思います。
そんな福岡、さらにいえば、博多に訪れた際はぜひ古美術八光堂博多店へお越しくださいませ。
皆さまと、皆さまがお持ちになる素敵な作品にお会いできる日を楽しみにしております。