【京都店:絵画買取】片岡球子 リトグラフ
絵画への「執念」
1905年北海道の札幌に生まれた片岡は、裕福な家庭で育ち、女学校卒業後には美術学校へ進学。しかし、両親から画家になることを反対され、勘当までされた片岡は、小学校で教師業に務める傍ら創作活動に励みます。
画家として茨の道を進み始めた片岡ですが、自身の腕を世に知らすべく、日展を始め様々なコンテストに応募しますが悉く落選――。そんな彼女に追い討ちをかけるようについたあだ名が「落選の神様」。
それでもめげなかった片岡は出品を続け、ついに1930年の院展での入選をキッカケに、以後毎回入選を果たすこととなり、画壇でも知られた存在となります。
その後、小学校を退職し、美術大学で教鞭をとりつつ、自身の作風に磨きをかけていきます。
順風満帆、早咲きとは決して言えない彼女の早期キャリアからは、絵画対する「執念」が強く感じられます。
作風への「信念」
片岡球子といえば、「富士山」や「面構シリーズ」。
最近では、映画「シン・ゴジラ」において彼女の「富士山」が登場し、話題となりました。本人曰く、「富士山の身体に触っているような感じ」の飛び出すような迫力ある山のフォルムは、絵の具を手にすくい、そのままキャンバスへ描くという独特な技法によって描かれています。
富士山の絵を描き連ねた作家は数多くいますが、感性と呼応する類まれない技法は他と一線を画していると言えるでしょう。
また「面構シリーズ」は、歴史上の人物が緑や黄色など奇抜な色合いで描かれ、世間の度肝を抜いた作品です。そんな既存を疑う奇抜な作風は世間から当時「ゲテモノ」と罵られ、一時は自信を喪失しますが、日本画壇の重鎮・小林古径の後押しにより自身の作品に対する信念を芽生えさせます。
「誰もが美しいと感じるものを描くことがすべてではない。」そんな彼女の強い「信念」が日本画家・片岡球子の源かもしれませんね。
パワーをくれる作品群
史上3人目となる女性の文化勲章作家でもあり、今日では当然のように聞かれる片岡球子の名声の裏にはそういった「執念」と「信念」がありました。
立ちはだかる大きな障害と繰り返される挫折。しかし、葛藤し続けながらも個性を目一杯広げ、勇ましく描き続けること――。
これはどこか私達にとっての生きるヒントとして合い通じるもののように思いませんか。片岡球子の作品に吹き込まれた力強い魂を感じると、心頭滅却、身が引き締まるように感じられます。
さいごに