【横浜店:絵画買取】熊谷守一 リトグラフ
熊谷守一とは
まずは熊谷守一という人物について少し説明します。
熊谷守一は1880年に岐阜県で生まれます。熊谷守一の家は製糸工場を営んでおり、父親は岐阜の初代市長を務めるほど、生まれは裕福な家庭であったようです。
1977年に97歳で亡くなられますが、76歳のときに脳卒中で倒れて以降、自宅から出ることはなかったそうです。
そんな晩年の熊谷守一の作品は簡略化された絵が多いですが、実は初期は写実的な絵を描いていました。
裕福な家庭から画家の道へ進み、父親の死、家の事業の倒産、子供との別れなど、紆余曲折を経て熊谷守一の作品は大きく変化していきます。
もし、皆さんも美術館などで見る機会があったら是非、初期と晩年の作品を見比べてみてください。あまりの違いに驚かれるかもしれません。
思うがままに生きた人
皆さんは熊谷守一が文化勲章の授与を辞退していた、というお話はご存知ですか?
しかもその断った理由が「これ以上、人が来ても困る。」というなんともそっけない理由で断ってしまったそうです。最後の最後まで自分が描きたいものを描きたいときに描くということを貫いていた、なんとも熊谷守一らしい理由ではありますね。
そんな熊谷守一の作品を見ていると、植物や動物などの絵が多く、戦中を生きた作家にもかかわらず戦争関係の絵画が見られないことにお気づきでしょうか。
文化勲章を断った理由は上記でも述べましたが、それ以外にも「お国のために何もしたことがない。」ということも理由のひとつにあるようです。
そこには戦争画を描かなかった、いや正確に言えば描きたくなかったという思いもあったのかもしれませんね。
何気ない日常や、いつもの風景の一部を切り取ったような熊谷守一の作品を見ていると、何の変哲もない日常こそが実は本当の幸せなんじゃないかということに気付かされます。
そんな日常の幸せを思い出させてくれる画家だからこそ、熊谷守一が亡きあとも彼の作品を愛する人たちがいるのかもしれませんね。
さいごに
少しでも皆さんに熊谷守一を好きになってもらえればと思い紹介させていただきましたが、いかがでしょうか。
熊谷守一の描く絵画(特に猫!)はなんともいえないかわいらしさがあるので、気になる方は是非チェックしてみてください。
また、熊谷守一は墨絵と書も多く書いており、それらは人によくあげていたそうです。そのため複製品だと思っていた絵や書が、実は熊谷守一が実際に書いたものだったということもあるかも知れません。
熊谷守一の作品を持っている方は一度八光堂へお持ち込みされてみてはいかがでしょうか。
もしかしたら……驚きの結末が待っているかも知れません。