【横浜店:絵画買取】浜口陽三 メゾチント・前編
絵画がお好きな方ですと様々な技法で描かれた作品をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。
油彩、水彩、水墨、パステル、デッサン……など原画だけでも多数の技法がありますが、それと同様に版画にもいろんな技術・技法があるのをご存知でしょうか。
本日は版画の中でもメゾチント、カラーメゾチントで有名な浜口陽三についてお話させていただきます。
浜口陽三の生い立ち
浜口陽三は1909年に和歌山県に生まれました。浜口の家系は有名企業であるヤマサ醤油の創業者なのですが、彼は全く別の芸術家の道を歩むことになります。
祖先には野呂介石門下の南画家がおり、また父は小室翠雲について南画を学んでいたという環境のためか幼いころから美術には興味があり、もちろん才能もあったようです。
とにかく“やりたいことをとことんやる”という性格だったようで、そのせいかせっかく入学した東京美術学校もわずか2年で退学してしまいます。しかし、この決断が彼の芸術家としての進む道を大きく変えることになります。というのも、そもそも浜口は彫刻科に入学していたからです。彼の名前を世界に広めたのは版画ですから、ちょっと意外ですよね。
銅版画制作との出会い
浜口は大学を辞めたあとに渡航したフランスで本格的に銅版画制作に打ち込むようになります。
ちなみにこの時の銅版画制作は、油絵に飽きたための気分転換程度の制作だったようです。
ですが、第二次世界大戦が勃発したことから浜口は日本へ引き揚げます。ようやく本格的に銅版画制作に取り組み始めたのは戦後のこととなります。
最初はドライポイントという銅版画技法を用いて作品を作っていたようですが、そのうちにメゾチントという技法に興味を持つようになります。
メゾチントの技法を確立した浜口は、様々な表現で作品を作り上げていき、再度渡仏すると画商に作品を気に入られた出来事を皮切りに、1954年アンリ・ルソーやジョルジュ・ルオーら名立たる画家が参加した美術展覧会「サロン・ドートンヌ」の会員となり、1957年には東京国際版画ビエンナーレやサンパウロ・ビエンナーレなどと世界各地で受賞を重ねるようになります。
浜口の画業後半に始まった銅版画制作は、始めるや否や各方面からこのように賞賛を受けました。
話が長くなってしまいますので、今回はこの辺で……。
また続きを後日アップさせていただきます!
さいごに
そんな浜口陽三の作品をお持ちでしたら是非八光堂に拝見させてください。
2000年に亡くなられた後も高い評価を受けている浜口の作品は、買取価格にも自信をもって査定させていただきます。