【広島店:茶道具買取】佐々木昭楽 茶碗
佐々木昭楽とは
佐々木吉之介により1905年京都の清水坂に「昭楽窯」を開窯。大徳寺の後藤瑞巌・小田雪窓より認められ作陶の手ほどきを受け、1944年に亀岡へ移窯し、今日まで茶道具制作を専門に続けられています。
その移窯した際に、大本教出口王仁三郎より「松楽」の名を拝受しました。
松楽窯では昭楽監修のもと、職人たちによって作陶されたものを指し、現在に受け継がれています。
ちなみに、松楽窯の祖である佐々木吉之介は元々は錦絵の絵師で茶碗は造っておらず、2代目の成三までは植木鉢を作っていたそうです。
楽焼を作った長次郎も元は瓦職人だったのですが、長次郎についてはまた別の機会に…。
楽焼とは
茶道の歴史において欠かすことのできない人物、千利休。
秀吉により切腹を命じられてもなお譲れなかった自身の美学「不足の美」。
当時はまだ中国・朝鮮ものが大半を占め、天目茶碗などが珍重されていた茶道具の茶碗で、利休は自身の美学であり、後に普及していく「わび茶」の精神を貫きます。
その利休の簡素で質素な“侘び”の精神のもと生まれたのが「楽焼」で、お抹茶を点てるためだけに作られた特殊な茶碗です。
楽焼とは電動のろくろなどを使わず、手やへらのみで成形する「手づくね」という独自の手法で作られ、主に「黒楽」「赤楽」とがあります。
赤楽は800度で焼成されるのに対し、黒楽は1000度の高温で焼成されます。また黒楽の黒色は高温での焼成中に窯から引き出すことで茶碗を冷やし、温度変化で黒く変色させるといった手法で色を作り出しています。
現在に伝わる、佐々木吉之介の美学
途絶えることなく続いてきた茶道。そんな利休の美学に魅せられたのが吉之介でした。
楽焼の黒楽・赤楽の伝統を忠実に守り、敷居の高いものだけではなく、大衆にも気軽に使えるような茶道具を専門に独自の作品を造りだしています。
佐々木吉之介が伝えたかった美学は今もなお受け継がれ、今年で113年目の年を迎えています。
予約をすると窯の施設見学も出来るそうなので、利休の美学、吉之介の美学を感じながら一味違った京都の思い出に茶道の世界へ身を委ねてみるのはいかがでしょうか。
さいごに