【京都店:茶道具買取】田原陶兵衛 茶碗
歴史に翻弄されて
約400年の昔から、萩焼の陶芸一族として代々活動してきた田原家。
大正14年、山口県長門市にある田原家の二男として源次郎(後の十二代田原陶兵衛)は生を受けます。
ちなみにこの年は小説家の三島由紀夫や、落語家の初代林家三平という歴史に名を残す人物と同い年でもあります。
源次郎は旧制高校在学中に出征し、満州の兵役生活の中で青春時代を送りますが、昭和20年に日本は敗戦。
終戦後はソビエト連邦の満州侵攻によってシベリアに抑留され、過酷な生活を送りました。日本に戻ることができたのは終戦から3年経った日だったそうです。
元々は官僚になることを夢見ていた源次郎ですが、抑留時に身体を壊してしまい、夢を諦めて実家の窯で陶芸の基礎を学ぶようになります。
突然の襲名
戦後、「田原陶兵衛」の名は実兄である忠太郎が十一代目を継いでいましたが、その十一代田原陶兵衛が若くして急死してしまいます。
あまりにも若く、そして忠太郎には跡継ぎがいなかったこともあり、昭和31年に急遽源次郎が十二代田原陶兵衛を襲名することとなりました。
襲名後の源次郎は、既に失われていた江戸時代の古萩の技法を再現することに尽力し、その後は自らの作風を生み出しました。
昭和44年には日本工芸会が主催する日本伝統工芸展に、自身の作った萩茶碗を初出品しその後も出品を続けます。
更に日本工芸会の理事となるなど、陶芸界の発展に貢献した功績が認められ、昭和56年には山口県の無形文化財として認定されることとなりました。
平成3年、十二代陶兵衛は66歳というあまりに早すぎる年齢で心不全によりこの世を去りました。現在は源太郎の御子息が十三代目田原陶兵衛を襲名し、精力的に活動されています。
さいごに