【銀座本店:工芸品買取】江戸切子 グラス
日本が誇る最高品質のカットガラス
江戸切子といえば、繊細な装飾彫が施された最高級のガラス製品として有名です。
“特別な日にプレゼントされた、とっておきのグラス”として戸棚の奥に大切にしまわれている方も多いのではないでしょうか。
精巧に施された文様の美しさは人々を魅了し続け、1985年には東京都の伝統工芸品産業に指定、さらに2002年には国公認の伝統工芸品にも指定されています。正に日本が世界に誇る最高品質のカットガラスといえるでしょう。
しかし、江戸切子が現在の華々しい地位を確立するに至るまでは、様々な苦難があったようです。
不遇の時代を耐え忍んだ江戸切子
江戸切子が初めて製作されたのは江戸中期頃といわれており、当初は生産量も少なく高価であったことから、一部の富裕層しか所有できない製品でした。
やがて明治維新を迎えると西洋からもたらされた加工技術によって急激に生産量が高まり、庶民も江戸切子を目にする機会が増え、一気に人気を集めるようになりました。
明治~大正にかけては切子産業の全盛期であり、切子職人を養成する品川硝子・岩城硝子などの伝習所が多く設けられました。
しかし、昭和に入り、世の流れが第一次・第二次世界大戦に向くと、江戸切子のような装飾性の高い品は奢侈品と見なされ、切子業界は打撃を受けることとなります。
兵器資源に転用するために政府が発令した「金属類回収令」により、金属器である切子加工機は回収され、やむなく加工場を去る者や、徴兵によって戦地に赴く者もいたようです。
政府から軍需工場として指定された加工場の職人はガラス製作に従事し続けましたが、切子を作ることは叶わず、軍需品としての試験官や薬瓶の蓋などを作ることを余儀なくされていました。
戦時中の約15年間、江戸切子が世に出ることはなく、再び日の目を浴びたのは戦争が終わってから数10年後のことです。
戦後になるとガラス業界も機械化による大量生産品が出回るようになり、切子職人にとって厳しい状況が続きましたが、同業者が亀戸に集い共同組合を立ち上げたことで、切子産業は次第に息を吹き返していきます。
切子職人の「技」と「矜持」
不遇の時代を耐え忍んできた切子職人ですが、その製作法も非常に根気のいる作業で、昔は現在のような機械による動力はなかったため、全て手彫りで装飾を施していました。
初期は水車や足踏み加工機などの原始的な動力を用いており、明治中頃にやっと電気による動力が使えるようになったと思いきや、馬力が足りず何度も停電するため、暗闇の中手彫りで作業を続けた時もあったようです。
また、当時は良質なガラスの入手が難しかったこともあり、出来上がったガラス面が気泡や混合物で曇ってしまうことが多々ありました。その曇りや荒れを取り除き、いかに美しい輝きに仕上げるか追求した切子職人は、曇りを消すために何回も手摺りで表面を研磨し、荒れが目立たないように細部に至るまで精緻に手彫を施すという、非常に根気のいる作業を繰り返し続けてきたのです。
現在は「グラヴィール」というグラスの表面に回転する銅板を当て、文様を施す製法が主流となっていますが、このグラヴィール製法も非常に高度な技術が必要とされます。
彫刻を施す面は、自分の見ている面の裏側となるため、口縁部からガラス内部をのぞき込みながら数ミリ単位の文様を彫り出し続けるという気の遠くなる作業を一つ一つのグラスに施していくのです。
江戸切子の人間業とは思えないほど精巧に彫られた文様を見ていると、一切の妥協を許さない職人の気概が感じられますね。
さいごに