【横浜店:茶道具買取】楽吉左衛門 茶碗
楽吉左衛門と樂茶碗
楽吉左衛門は初代長次郎から始まり、現在は十五代樂吉左衛門へと続いている茶碗作りの匠・茶碗師です。
当代の樂吉左衛門は京都生まれで、1973年に東京芸術大学彫刻家卒業後、2年間イタリアに留学した後1981年に襲名します。
初代長次郎から始まった千利休の「わび茶」の理想を受け継ぐ陶芸家として活動する一方、公益財団法人樂美術館の館長でもあります。
さて、楽吉左衛門といえば、“ 樂茶碗 ”。
安土桃山時代に初代長次郎によって制作が始まり、今日まで類稀なる技術が継承され続けています。
そもそも樂茶碗とは、一般的な轆轤(ろくろ)によって制作されるものではなく、手とヘラだけで成形する「手づくね」という方法で作られます。そのため作り手の魂はもちろんですが、直接触れた時にもその温かみを感じることができます。
ちなみに、長次郎は茶碗を作る際、良質なものだけに拘るのではなく、土を選ばずに作っていたそうな。まさに「弘法筆を選ばず」ということですね。
黒樂茶碗とわび茶
そして樂家の代名詞ともなるもの――それが“ 黒樂茶碗 ”です。
初代長次郎は千家十職として千利休の元でたくさんの茶碗を作ってきましたが、中でも千利休の理想を完璧に表現したものが、この黒樂茶碗だったと言われています。
さて、芸術とはいつの時代も様々な色や形を巧みに使い、作者の性格、美学、想いが色濃く反映されるものだと思います。
なぜ、利休は黒を愛したのか?黒樂茶碗についてさらに掘り下げてみましょう。
当時の茶の湯とは、武家貴族の間では一般的であった唐物(中国製)の茶道具を使用し、豪華で位の高い人たちが行う「書院茶」が流行していました。
そんな中、その流れを断ち切るかのように動き出したのが村田珠光(むらたじゅこう)です。珠光は、利休の師匠である武野紹鴎(たけのじょうおう)らと共に「わび(侘び)」の精神を重んじた「わび茶道」を形作り始めます。
そして、利休が北向道陳(きたむきどうちん)、紹鴎ら師匠の元で学んだ末、今日の茶の湯(茶道)を完成させ、そしてそれを長次郎が具現化させたのでした。
この「わび」こそが、黒樂茶碗の核となる要素なのです。
珠光をはじめ、多くの素晴らしい茶人達の常識に囚われない価値観、つまり当時の豪華・派手とはかけ離れた風情こそ「わび」なのでしょう。
さいごに