【大阪本店:絵画買取】武者小路実篤 墨彩
武者小路実篤とは
そんな武者小路実篤とはいったいどんな人だったのでしょうか?
…と導入でいろいろご紹介させていただきたいのですが、逸話やエピソードが多すぎるので基本的な略歴を紹介させていただきます!
とにもかくにも、「白樺派」を代表する小説家・詩人として有名です。
皆さんも国語の教科書で出会ったり、日本の名作シリーズなどで誰もが目にしたことがあるでしょう。
元貴族出身だった武者小路実篤は、学習院初等科に入学し、そこで生涯の同志となる志賀直哉と出会いました。
このころから文学が得意だった実篤は、高校、大学と進むにつれ、志賀直哉らと結成した十四日会(じゅうよっかかい)と呼ばれるサークルで小説の創作活動を行っていました。
その後大学を中退し、1910年に同人誌「白樺」を発行、白樺派の中心人物となります。
これが実篤の人生を大きく変えることとなりました。
白樺派結成以降
白樺に掲載されたメンバーたちは誌名にちなみ「白樺派」と呼ばれました。
人道、理想、個人の主張を尊重する思想の下発行された白樺は、当時の主流だった自然主義に取って代わる思想となり、その作風には多くの賛同者が出ました。
さらに実篤は、白樺派に賛同した青年たちを集め、宮崎県に「新しき村」というある種の理想郷とも呼べる村を作り上げ、そこで皆とともに創作に勤しみました。
実篤の代表作「友情」「幸福者」「人間万歳」はそこで製作され、現在もなお多くのファンが存在します。
ただ、村の存続はとても困難だったといわれ、実篤自身も6年で村を去ってしまいますが、残されたメンバーで存続させたといわれています。
しかし、実篤が村を去った後も彼が村へ残した影響は大きく、象徴的存在だったことは間違いありません。
ちなみに現在もその村は残っており、いまなおその精神が受け継がれているようです。
さいごに