【横浜店:茶道具買取】白井半七 水指
白井半七とは何者か
乾山写し・仁清写しなどの京焼様式が得意とされている作家ですが、元は江戸の今戸村で土風炉や茶器などを製陶していました。
京焼様式は8代目からという時代に合わせて方針を変えた珍しい作家でもあります。
4代目、5代目の頃に今戸人形で人気を博し、一躍有名作家として名を馳せました。
その後、7代目の頃に関東大震災の影響で窯が全壊してしまうといった悲劇がありましたが、表千家十一代宗室・碌々斎より引き立てられ伊丹に開窯、後に大茶人の小林一三(逸翁)に招かれ宝塚で窯を開きました。
その頃より日本料理の名店「吉兆」の創業者である湯木貞一や、おそらく松永安左エ門などと交流を深めていたようで、8代目から乾山写しや仁清写しに取り組み、当代の9代目もその流れを踏襲し、その華やかな作風で人気を博しています。
少々小話を。
実は、今戸焼きは白井半七の一族が本家というわけではなく、本家は白井善次郎の一族で、半七は分家にあたります。
また、白井家は今戸窯の元締めのような立ち位置の一族であり、作陶は注文が来次第、それぞれ得意分野ごとに下請負の職人に任せていたそうです。
現在はもう一つの分家筋である白井孝一一族が、今戸にて今戸焼を制作・切り盛りしていらっしゃいます。
白井半七に関しては、このくらいにしておきましょう。
私がここで書きたいのは、白井半七の作品は茶道以外にどのような用途で用いられていたのかです。
その一例を挙げるキーワードは、「吉兆」です。
白井半七と料亭「吉兆」
先ほど記述したとおり、白井半七は料亭「吉兆」の創業者である湯木貞一ととても深い親交がありました。
これは、吉兆の開業当時からの馴染みだった小林一三が引き合わせたためで、それ以来白井半七は、会席に用いられる今で言う「吉兆好み」とされる作品を手がけており、現在でもその作品類は吉兆で使用されています。
お茶のみならず、料理を演出する器。
みなさまもお食事に出かけた際は、その食器の背景を想像して舌鼓を打つのも一興ではないでしょうか。
さいごに