【横浜店:絵画買取】児玉幸雄 油彩
作風の変遷
児玉幸雄は1916年大阪府大阪市に生まれ、幼い頃から熱心に絵画製作を行い、大学は関西学院大学の経済学部に進学。在学中には美術部に属し、後の文化功労者・田村孝之介に師事し、日々腕を磨いていきました。
才能は早期に発揮され、21歳の頃描いた作品「赤い背景の人形」が二科展に初入選。その後、二科展へは連続入選を果たし、美術界の逸材として華々しくデビューします。
初期の児玉の作品は、代名詞である風景画はほとんどなく、人形や婦人像などのモチーフが多かったようです。
そして、大学卒業後は軍へ入隊。戦争体験を通じて児玉は「戦線風景」という作品を発表し、そこから以前の人物画に加えて、風景画も多く描くようになります。
兵役を終えた1940年、児玉は初めてヨーロッパ、アメリカなど西洋の地を訪れます。そこでよほどの刺激を受けたのか、そこから毎年ヨーロッパを中心に訪問し、自身の感性に磨きをかけていきます。そういった経験が彼の代名詞でもある作風を生み出すこととなりました。
柔らかな街並み
児玉幸雄作品といえば、やはりヨーロッパの街角を描いた風景画がとても有名であり、パリの空気感が漂うその街の雰囲気よく描かれ、実に多くのファンを虜にしています。
そしてゆっくりと時間が流れているような温かいタッチでも描かれており、「パリの街角」では建造物の重厚感が現れ、行き交う人々の風景が落ち着いた景色と共に描かれています。
ナイフでは表現できない筆中心のタッチで豊富にかつ柔らかさを保ち、そして色彩、ディティールなど児玉幸雄の絵画は全てにおいて明快であるのも特徴です。暖色が中心となり描かれているので、生活感のある風景が一気に舞い降ります。
多くにエピソードがなく、謎も多い彼ですが、作品からとても温厚で柔らかな感性を大切にする画家だったことが読みとれます。
また児玉は生前ジュモーやゴーチェなどのアンテイークドールの収集を続け、その美しい佇まいを題材とした執筆に専念したとも言われており、彼がいかに丹念で創作性豊かであったのかを裏付ける数少ないエピソードですね。
飾り甲斐のある作品
児玉の作品は映画を観る感覚にどことなく近く、写真や絵画は一枚に集約される世界とは違い、彼の織りなす風景たちは奥行きがどこまでも広がり、そこからまた物語が続いていくような気分にさせてくれます。想像の広がる絵画はわくわくしますね。
「その時々の情緒で物語が変わる作品を側に飾っておきたい」そんなファンの方々は多くいらっしゃると思います。
さいごに
児玉作品をご事情により手放す際は、是非一度八光堂までご相談ください。
ご納得いただける金額提示はもちろん、素晴らしい作品を次の方へつなげるお手伝いをさせていただきます。