【広島店:茶道具買取】大西清右衛門 釜
大西清右衛門(おおにしせいえもん)とは
茶道経験のある方であればどこかで聞き覚えがあるかもしれませんが、「釜師」と言えば「大西清右衛門」と言っても過言ではないのではないでしょうか。
千家十職(千家の茶道具を制作する限られた職人)の釜師を担う職人になりますが、始まりは室町時代後期から現在までのおよそ400年以上続く伝統ある釜師となります。
当代は16代となり、今なお清右衛門の名を継いで茶釜の製作に打ち込んでいます。
16代以前の職人は隠居名で制作した作品も数多くあります。
清右衛門の名は4代目が名乗りはじめ、9代目を除く6代目以降の大西家が襲名しています。
代により作風も変わり、特に二代目は大西家一番の名人と言われており、あの狩野探幽の下絵を使った作品もあるとか...。
今回はふわっと全体像だけ書いておりますが、いつか時間があれば代ごとに掘り下げていきたいです!
釜の産地・三条釜座
京都に工房を構える大西家ですが、当時江戸時代の京都では三条釜座以外での鋳物制作が禁止されていました。そこに釜師が住まいと工房を構えて茶釜を製作し、そこで造られた釜のみが「京釜」と呼ばれる釜になります。
辻与次郎や西村道仁などの名工を多数輩出した事などから京釜の名が広く知れ渡っていく一方、それまで釜の産地として賑わっていた福岡県の芦屋釜、栃木県の天明釜は衰退するかたちとなってしまいます。
また、江戸初期頃にほとんど消滅したとされる芦屋釜ですが、当代の16代大西清右衛門が研究・復元し「挽中子(ひきなかご)」の再現に成功したことで話題となりました。
さいごに
調べれば調べるほど奥の深さを感じる「大西清右衛門」ですが、400年続く名工ともあり作品は茶釜も然ることながら以外にもたくさんございます。
皆様のお宅にも眠っているかもしれませんね。
お気になるお品物がございましたら、お気兼ねなく古美術八光堂にご相談下さい。