【大阪本店:茶道具買取】小川長楽 茶碗
初代・小川長楽
初代長楽は1874年京都に生まれます。
その後、十一代樂吉左衛門・慶入に師事し、修行を重ねます。
そこで実力が認められ、1906年には建仁寺派4世竹田黙雷より「長楽」を、また後に裏千家13代圓能斎宗室より「長友軒」の号を授かりました。
そして、十二代樂吉左衛門・弘入の命を受け、唯一独立を許されたのが長楽です。
独立してからはますます作陶の技術を磨き、また土にもこだわりをみせ、1911年にはより質の良い陶土を求めて京都市左京区に移窯しました。
初代長楽は師匠である慶入や弘入の写しが非常に上手く、その造りの技術は高い評価を得ています。
二代・小川長楽
二代目の小川長楽は、長楽の長男・幸一が1939年に襲名しました。
1940年には建仁寺派5世竹田穎川(えいせん)より「景雲」の号を授かり、その3年後には芸術保存作家の指定を受けました。
さらに、1955年には白楽、焼貫七彩釉の焼成に成功しています。
1966年には清水焼団地(窯元や作家、卸問屋など京焼・清水焼に関連する業者が集まる地)に住居と窯を移動し、更なる作陶を続けます。
短期間でさまざまな偉業をやりきるとは、おそろしくやり手ですよね!
三代・小川長楽
そして当代である三代目は、二代目長楽の長男・幸雄が襲名しています。襲名前は「裕起夫」という名で活動してました。
小川長楽は弟子を取らず、代々世襲制になっているようですね。
三代目長楽は元々建築家志望だったようですが、長楽の文化を途絶えさせてはいけないと、高校卒業後に父である二代目長楽に師事したというエピソードもあります。
そんな三代目ですが、100個作陶して“作品”と認められるのはたった数個という厳しい修行を経て、1984年通産大臣奨励賞を受賞、1992年には醍醐寺座主の麻生文雄により「松風軒」の
号を賜り、三代目長楽を襲名しました。
三代目長楽は楽焼の代表ともいえる赤楽・黒楽を主に作陶し、小川長楽の技術をしっかりと現世にも受け継いでいます。
焼貫/釉彩
三代目小川長楽は新しいことにも柔軟で、織部釉にも挑戦しています。
焼貫(やきぬき)とは、楽焼の燃成技法で、長楽はこの焼き方をさらに発展させ独自の技術を生み出しています。
通常は底に漆を用いて補強を行うのですが、それが大変難しい技術を要し、灰器や掛花入等の小さなものしか造れませんでした。ですが長楽は焼貫を行わずに、しかもより大きな花器や水指の焼成に成功しているのです。
さらには、釉彩という独特の釉薬を使うことで赤や緑色の彩色も行うなど、伝統と個性を上手く織り交ぜて独自の技術で作陶されています。
また、小川長楽で使う土は、雨風にさらして寝かす期間もあるため、作品になるまでになんと20~30年(!)はかかるそうです。
さいごに
父と子により代々受け継がれてきた文化は、時を越え世代を越え、現代に残ってきました。
楽焼が茶道のなかで確固たる存在を築き上げたのは、利休の精神と陶工の並々ならぬ努力があってこその美学ではないでしょうか。
古美術八光堂では、作品を後世へ引き継ぐ橋渡しのお手伝いをさせていただいております。
気になるお品がございましたら、ぜひ八光堂までご連絡ください。