【富山店:掛軸買取】堂本印象 彩色
宗教画家としての堂本印象
堂本印象は、大正~昭和にかけて京都で活動した日本を代表する日本画家の一人です。
冒頭でご紹介したように、日本の四季を美しく描いた風景画や花鳥画のイメージが強いかもしれませんが、実は昭和初期頃から仁和寺・東福寺・大徳寺などの障壁画も多く手掛けています。
大きな画面に描くことが得意だった印象は、数々の有名な寺の障壁画を制作し、その数は600点にも及ぶと言われています。そんな膨大な作品を休み無く生み出すことができたのも、印象自身が信仰心の厚い仏教徒で、経典や書物を熱心に研究し続けていた努力の賜物だと言えるでしょう。まさに「近代の宗教画家」と言っても過言ではありません。
この頃には、画壇の主催や美術学校で教師を務めるなど、絵画の指導者としても精力的に活動していました。また、その信仰心は仏教だけにとどまらず、テーマはキリスト教にも移っていきました。
61歳の時に渡欧した印象は、フランス・スペイン・ドイツなどを周り、そこでヨーロッパの文化に触れたことで刺激を受け、今まで見られなかった鮮やかな色彩やデフォルメされたモチーフなどを表現として現し、より近代的な画風へと変貌していきました。
刑架や受胎告知など、キリスト教のテーマを取り上げた宗教画を描いたのもこの頃です。
後世へと伝わる堂本印象の作品たち
晩年になると、さらにその画風は変貌を遂げます。
当時ヨーロッパで盛んだった「アンフォルメル」という前衛的でダイナミックな構図の表現が用いられ、作品が生まれました。さらに印象は、ただヨーロッパの流行に乗るだけではなく、そこに墨などの日本的な画材を組み合わせることで、より斬新な表現をすることに成功したのです。洋画らしい抽象的なモチーフと、日本らしい伝統的な素材の融合に、世界中が魅了されました。
印象の才能は、画家としてだけに留まりません。昭和41年には、自宅のある京都に「堂本印象美術館」を開館します。内装の壁画はもちろんのこと、外観や柱の彫刻、ドアノブ、庭園のベンチに至るまで全て自らがデザインしました。
ヨーロッパの宮殿のように美しいその美術館は、まさに世界で最先端の芸術を研究した印象だからこそ建てられた、彼の作品の集大成とも言えるものとなっています。
また、兄弟や親族にも芸術家が多く、洋画家の堂本尚郎や日本画家の堂本阿岐羅も彼の血縁にあたります。
さいごに