【博多店:掛軸買取】川合玉堂 彩色
福岡県と言えば、芸能や芸術、政治などで活躍されている方が多いことで有名ですよね。
才能溢れる天才肌の方がなぜか多いのです。
かくいう私も福岡県出身です。
お客様から「鑑定士の方ってやっぱり美術のセンスがすごいの?絵は上手なの?」と聞かれることがあります。
そうです、絵には自信があります!
…と言いたいところですが、とてつもなく下手なんです。
某番組で絵心ない芸人という企画がありますが、私は完全にあちら側の人間です。
むしろ一周回って「ある意味よく描けたな」と感心してしまうほどの実力です。
来世は、できればドラえもんくらいは上手に描ける人間になりたい…!
(※絵心はないですが、きちんと査定はできますのでご心配なさらずに笑)
それはさておき、今回は天才画家・川合玉堂について書いていこうと思います。
抜群の吸収力!川合玉堂の師事遍歴
ここまで福岡に絡めて絵心のあるなしのお話をしていたので、「川合玉堂って福岡出身だったのね~」と思われるかもしれませんが、何を隠そう玉堂の出身は愛知県。そして、その後に京都~東京と流離っていきます。
画家は通常一人の師匠に一貫して師事し、絵を学ぶことが多いです。しかし、川合玉堂は生涯で3人の画家に師事しました。
最初から順に、望月玉泉(四条派)、幸野楳嶺(円山・四条派)、橋本雅邦(狩野派)とそれぞれ流派の異なる画家に師事しました。
玉堂のすごいところは、各画家、各流派の技術や表現方法を完璧に体得してしまうところにあります。それぞれの時期の作品を並べてみると、全く作風が違うことが分かりますし、一つ一つのレベルが高いため、違う作家さんが描いたのかと見間違うほどです。
その卓越した吸収力、羨ましい!
追い求めた理想郷
玉堂は戦時中に現在の東京都青梅市へ疎開、そのままそこに移住しました。それは玉堂が愛した風景がそこにあったためです。
しかし、玉堂はその風景をそのまま写したわけではないようです。様々な風景をスケッチし、それらを頭の中で組み合わせることによって、自分の理想郷を描いたと言われています。
晩年の玉堂の作品は、田舎の風景や生き物が多く登場しますが、そのどれもがとても懐かしく暖かいのです。子どもの頃の記憶のような淡い色彩や柔らかいタッチなど、誰しもが持つ心象風景のような心が穏やかになる作品ばかりです。
時代が違えど、人々の心に残り続ける風景――。それが玉堂の追い求めた理想郷なのかもしれません。
さいごに