【横浜店:絵画買取】後藤純男 リトグラフ
後藤純男について
後藤は1930年千葉県関宿(現・野田市)の真言宗の寺に生まれ、16歳で画家の山本丘人(やまもときゅうじん)に師事しながら、厳しい家計を支える為に埼玉県内の小・中学校で教職に就きながら創作を続けていました。
19歳の頃に山本丘人の紹介で田中青坪(たなかせいひょう)に師事し、ここで本格的に日本画を修業します。22歳の時、横山大観らが設立した日本美術院展覧会(院展)に初入選したことを機に約5年間の教員生活を終え、画家としての活動へ注力していきます。
以降、日本美術院賞・大観賞や内閣総理大臣賞などを受け、日本美術院の中心的な画家として活躍。1988年から1997年まで東京藝術大学の教授として後進の指導にもあたりました。
「♪ダバダ~ダバダ~」と聴けば思い出す、あの「違いがわかる男」シリーズで有名なコーヒーのCMに出演していた事でも知られています。
仏道と絵の道
後藤は、元は人物画家志望でしたが、院展に人物画と風景画の二点を出品したところ、人物画は落選したことから風景画の道へ進むこととなりました。この風景画への転身が、のちに後藤純男を大成へと導いたのです。
寺の後継ぎとして僧侶となるべく修行もしていましたが、寺は檀家も少なく貧窮を極めた生活であったため、「同じ苦労なら好きな絵の道で…」と仏道を捨て、絵の道を選びました。
しかしながら幼少の頃から自身の傍らにあった「仏道」は、後藤純男と切り離せるものではなく、彼の描く作品には寺を題材にしたものが数多く残っています。
25歳頃になると、実家の寺のつてを頼り、京都や奈良の寺々を巡るスケッチ旅行をはじめ、約10年で四国も含め50箇所以上のお寺を廻ったといいます。そうした日々の中、かつて自分が幼い頃、寺で日常的に目にしていた本堂の金色の飾り、荘厳な風景、それらを心底美しいと捉えていた心情に辿り着いたのでないでしょうか。
己の心情と絵画表現を結びつけていった後藤の作品は、見るものの心にも強く語りかけ、ただ存在することの美しさ、自然の厳しさ、優しさに感動する心を呼び起こす力を持っています。
真言宗総本山の長谷寺に『春夏秋冬』、東京都高幡不動尊金剛寺に襖絵『桂林山水朝陽夕粧』を奉納するなど、芸術と宗教を強く結びつけるという偉業を成し遂げていき、後藤だからこそ描くことのできる、強い情念を感じる作品を残していったのです。
北海道の大自然の中で
30歳の頃からは、異国への憧れのような想いを抱いていた北海道へ、夜行列車を乗り継いで取材旅行を行い、こちらも約10年にわたり綿密なスケッチを重ねていきました。
特に層雲峡では渓谷にポツンと独りで居る自分の小ささを知ると同時に、自然の偉大さに心打たれたといいます。
厳しい渓谷風景や岩盤を描くことで、技術的にも様々な技法を試行錯誤していきました。その成果として『渓谷瀑布シリーズ』と呼ばれる作品群が残されています。
北海道の渓谷風景を神々しいものと捉え、神仏は自然に宿ると会得した後藤は「風景画の中の仏画」への道を模索する中で、「上手く描いただけでは意味がない。そこに祈りの心がなければ…」と後年に答えていたそうです。
北海道の厳しい自然に魅せられた後藤は、1997年 藝大を退官すると、北海道上富良野に「後藤純男美術館」を開館しました。そこに併設されたアトリエを道内取材の拠点とし、86歳で亡くなるまで制作を続けました。
その美術館には、北海道の大自然を感じる事のできる作品をはじめ、四季の花々や富士山、ヨーロッパや中国の風景を描いた作品など、大小130点もの色鮮やかでダイナミックな作品が展示されているそうです。
後藤が魅せられた北海道の大地の中で、実際の作品を鑑賞できるなんて贅沢ですよね。
是非一度訪れてみたいです!
さいごに
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