【富山店:茶道具買取】前端春斎 棗
三代続く名工
前端春斎とは石川県出身の塗師・蒔絵師であり、当代は三代目となります。
初代前端春斎は生没年不明となっており、初代の長男である前端雅峰(まえばたがほう)が二代目を襲名、さらに二代目の長男が三代目を襲名して当代に至ります。
二代目にも三代目にも共通しているのが、親である先代に師事しているほか、中村宗哲の門下である村田道寛(むらたどうかん)や加賀蒔絵の職人の保谷美成(やすたにびせい)にも師事していた点です。単なる “塗” の技術だけではなく、蒔絵の技術を上げるべく意欲的に取り組み、前端春斎のブランドを構築していきました。その結果、久田宗也の展覧会や裏千家坐忘斎の茶会にも作品を出品・制作し、茶道界から高い評価を受けていることが伺えます。
二代目が49歳の時に前端春斎を襲名した三代目ですが、二代目が築き上げたものを継承していくことに大変苦労もしたそうで、伝統を守りながらも非常に繊細で丁寧な仕事ぶりから、先代と同じく高い評価を受けています。
加賀蒔絵とは
加賀蒔絵とは、その名の通り加賀藩で生まれた蒔絵のことを指し、時代は江戸時代まで遡るとも言われています。
現在では北陸、中でも石川県のブランドとして根付いており、棗や香合を初めとする茶道具のほか、硯箱・印籠・盆・茶托などといった美術品から日用品のものまで幅広く生産されています。
その加賀蒔絵の基礎を築いたのが、江戸初期に活躍した京都出身の蒔絵師・五十嵐道甫(いがらしどうほ)という人物で、美術館や博物館にも多くの作品が所蔵されています。
彼の作品を一言で表す時に「絵画的」という言葉がよく使われますが、それは五十嵐道甫が最も影響を受けた人物として長谷川等伯(はせがわとうはく)や俵屋宗達(たわらやそうたつ)が挙げられることからもお分かりいただけるのではないでしょうか。法華宗の繋がりで彼らと関わりを持ち、後に制作する加賀蒔絵の作品に大きく影響したと言われています。
さいごに