【広島店:絵画買取】伊藤清永 油彩
折り重なる絹糸 特殊な油彩技法
伊藤清永の作品でとりわけ特徴的な、細い線を何重にも塗り重ねていく描き方は、油彩画の描き方としてはなかなかに特殊な技法です。
彼は、いかにしてこの技法を手にしたのでしょうか。
伊藤清永は1911年、禅寺の息子として生まれました。中学時代から油絵を始め、頭角を現してゆきます。そして親、特に父親の猛反対を押し切って東京美術学校の西洋画科へ入学。油彩画を数多く制作しました。
恐らく最も有名なモチーフである裸婦像は、どちらかというと戦後になってから本格的に多く制作されました。初期と言える1930年代頃からの作品は、モチーフは女性像が多かったものの、技法はしっかりと一筆一筆色を置いていく厚塗りの手法をとる正統派の油彩画でした。女性のやわらかな肉体を細やかな線で描くという手法が見られ始めたのは1940年代頃からで、よりそれが顕著になったのが戦後の1960年代頃以降です。
欧州との制作環境の違い
一般的には、伊藤は欧州に滞在した時期を境にしてタッチが変わったとされています。実際、伊藤本人もヨーロッパから日本へ帰国し、油彩画を描いたところ、ヨーロッパにいた頃と同じような表現が出来ず、一時は日本画に転向することすら考えた、と言っています。モデルとなる西洋人と日本人の肌色の違い、光線の違い、また気候による絵の具の乾き方の違いなどが、表現の妨げとなっていたようでした。
そんな伊藤が日本で油絵を制作していく過程で身に付けたのが、あの絹糸のような細い線を重ねる表現でした。日本では欧州よりも絵の具の乾きが遅かったため、早く乾く細い線をたくさん重ねることで、色が濁らず、鮮やかで透明感のある表現を生み出すことができました。その技法を使い、伊藤は日本人女性の裸体の美しさを表現することができるようになったのです。
伊藤は、静物画としてバラを描く際も、発色をより良くする為に、空気が澄んでいる軽井沢まで出向いて制作をしたとのこと。色彩に対するこだわりが強かったことがこのエピソードからもうかがえますね。
さいごに
彼の色彩と女体美へのこだわり、追及は晩年まで続きました。そして晩年の作品になってゆくほど、彼の求める世界観がはっきりと作品の中に映し出されていくように私には感じられます。
伊藤清永の作品も、八光堂で積極買取しております。
どの時期の作品でも大歓迎ですので、是非一度ご相談くださいませ。
お待ちしております。