【京都店:絵画買取】中路融人 彩色
中路融人の原点
中路融人(なかじ ゆうじん)は、昭和8年京都府京都市に酒の小売業を営む中路豊三・きみの子として6人兄弟の4番目に生まれました。母は滋賀県五個荘町出身で、幼少時代から滋賀を訪れることも多かったそうです。そこで見た四季折々の風景が中路融人の作品の原点になりました。
京都市立日吉ヶ丘高校(現・京都市立銅駝美術工芸高校)を卒業後、テキスタイルデザイナー(布地や織物をデザインするデザイナー)をしながら、制作を行います。
21歳で日本画家・山口華楊の画塾 晨鳥社(しんちょうしゃ)に入塾した中路融人は、自分の描きたいものは何かを突き詰め、幼少期によく訪れていた母の故郷である滋賀県五個荘の風景を中心に描くようになります。
その2年後、昭和31年日展に初入選を果たし、昭和37年には日展白寿賞、平成7年の日展で文部大臣賞受賞、平成9年「映象」で日本芸術院賞に輝きました。
晨鳥社会長に就任後、平成13年には日本芸術院会員となり日展理事も務め、平成24年に文化功労者に選ばれました。
中路融人 作品への情熱
中路融人は近年のインタビューで「人がどう言おうと自分がやりたいと思ったことは挑戦する。どこまで人に説得力をもって、私が思った良さを表現できているか。感じてもらえたら本望やし、あんまり皆さんから反応がなければ、まだまだね、足らんのやと思ってね。いつも全然ゆるめるってことはない。ゆるめるどころか足らん足らん。」と自らの作品への強い思いを語っていました。
そんなとどまることのない創作意欲で、制作の際利き手である右手を骨折しているのにも関わらず、作品「 気 」を左手のみで描いたそうです。中路融人特有の繊細なタッチや色使いはそのままで、とても左手で描いたとは思えない作品です。
「 気 」は滋賀県東近江市の中路融人記念館に飾られています。同記念館には52点もの中路融人の作品が寄贈されており、その時期のテーマによって、作品を入れ替えながら展示されています。
中路融人が愛した湖国の風景を実際に見たあと、作品を鑑賞するのも味わい深く感じられるかもしれませんね。
中路融人は数多く雪景色の作品を残していますが、山々に積もる雪の白と琵琶湖の深い藍色とのコントラストが美しい冬に、同記念館を訪れてみるのもおすすめです。