【大阪本店:掛軸買取】山口蓬春 掛軸
絵を描く事に、どこまでも貪欲に
山口蓬春(やまぐち ほうしゅん)は、大正4年に東京美術学校(現・東京藝術大学)へ入学し、当初は西洋画科を専攻して2度も展覧会にて入賞するなど才覚をあらわにしていましたが、その3年後には日本画科へと転科します。そして、入学してから8年後の大正12年には主席で卒業します。
卒業後も、所属していた新興大和絵会にて修練を続け、遂に画壇デビューする時が訪れます。そのきっかけとなった作品は、代表作で知られる「三熊野の那智の御山」です。この作品は賞を取るだけではなく、宮内庁にお買い上げされたことでも話題となりました。
そんな華々しいデビューを飾った山口蓬春ですが、新しい日本画を創造するために新興大和絵会と袂を分かち、新たに同志達と六潮会(りくちょうかい)を結成しました。
それからは、芸術家だけではなく評論家とも交流を深め、古今東西の芸術を吸収しながらも伝統的な日本画の技法を基盤とした、山口蓬春独自の感性を磨き上げていきました。フランス近代絵画の解釈を取り入れた「夏の印象」は、モダンを含んだ新日本画を表す作品ともいえますね。
戦後、近代日本画家としての歩み
戦後になっても山口蓬春は、今の状況に満足することなく、常に新日本画創造を真摯に模索していきました。
西洋画、古典的大和絵、モダン、写実…と多くの画法を組み込んだ独自の造形を持ち、晩年まで多くの作品を世に残していきました。
山口蓬春は画塾などは開いていなかったものの、山口蓬春を慕う弟子も何人か居り、その弟子の中には鵜飼いの情景を描いたことで有名な加藤東一も居り、戦後の近代日本画家に大きな影響と日本画の指針を示したと言われています。
飽くなき探究心で新しい日本画の創造に人生を賭け、その画法により生み出された多彩な作品で多くの画家に影響を与えてきた近代日本画家・山口蓬春は、1971年77歳で生涯を閉じました。