新たな感動と自由を求め続けた花の画家。堀文子のプロフィール・作品の魅力に迫る | 古美術八光堂の骨董品買取ブログ
まだ女性の自立が難しかった時代において精力的に活動し、日本を代表する女流日本画家として知られる堀文子。自然に生きる草花を題材とした作品が多く、「花の画家」とも呼ばれています。
81歳のときに幻の高山植物ブルーポピーを求めてヒマラヤへ取材に訪れ、代表作となる「幻の花・ブルーポピー」を制作。100歳でその生涯を閉じるまで、常に新たな感動を求め、旺盛な探究心で創作活動を行ないました。
今回は、自由を求め続けた「花の画家」堀文子のプロフィールや作品の特長、評価などについて詳しくご紹介します。
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衰えない好奇心と探求心で自身の芸術表現を突き詰めた堀文子
▲堀文子の代表作となったヒマラヤに自生する幻の花「ブルーポピー」
雑誌・絵本の挿絵を手掛けながら、革新的な絵画グループで活動
堀文子は、1918年東京にて生まれました。好奇心旺盛だった彼女は、幼少時は科学者になることを夢見ていたと言います。しかし当時は、まだ女性に学者の道は険しかった時代。次第に堀文子は芸術表現の道を志すようになりました。
1936年、絵画の基礎を学ぶため、18歳にて女子美術専門学校・師範科日本画部に入学。在学中には第2回新美術人協会展に出品した作品が入選、評価を得ました。卒業後は、雑誌や絵本の挿絵を手掛けるほか、現代の創造美術・新制作協会日本画部・創画会(※)へと続く革新的なグループを活動の場とし、創作活動を行いました。
一般社団法人創画会(そうがかい)の略称。日本の美術団体のひとつで、独創的な表現を用いた日本画の公募展・研究会・講習会などを実施。対象は日本画のみとしている。
海外を旅し、自身の芸術表現を模索。「花の画家」へ
1961年に42歳で夫と死別した後は、2年あまりをかけてヨーロッパやメキシコ・エジプトなどを旅し、新たな芸術表現の道を模索しました。この旅を機に、堀文子はシュルレアリスムなどの影響を離れて、伝統的な日本画に回帰を図ることとなります。
また、帰国後は都会を離れて生きることを決意。東京を出て神奈川県大磯や長野県軽井沢に移住します。自然に囲まれて慎ましやかな暮らしをしながら、野山に生きる草花の姿を多数描きました。堀文子が「花の画家」として知られるようになったのはこの頃のことです。
その後1987年、バブル期真っ只中の日本から逃れようと、69歳でイタリアのアレッツォ郊外にアトリエを構えました。そこでヨーロッパの雄大な自然と向き合いながら、制作に没頭します。イタリア滞在中には、アレッツォ市主宰のピエロ・デッラ・フランチェスカ没後500年記念「堀文子日本画展」を開催。現地の人々から高評価を得ました。
晩年でも衰えない創作意欲。生涯現役の画家
年齢を重ねても堀文子の好奇心と探究心は衰えることはありませんでした。「一所不在(一か所に長くとどまらず、居所を定めずに旅をすること)」を自身の信条としており、常に新たな感動を求めて表現を追求したのです。
77歳になった1994年からの数年間は、アマゾン川やマヤ遺跡・インカ遺跡にスケッチ旅行へ。さらに81歳のときにはヒマラヤを訪ね、後に彼女の代表作となる「幻の花・ブルーポピー」を発表しました。また、雑誌での連載や日本各地での個展の開催など、精力的な活動を続けていました。
83歳で大病に倒れるものの、現役に復帰。復帰後は今までとはまったく異なる顕微鏡で見る微生物の世界を表現した「極微の宇宙」をテーマとした作品を発表しました。その後100歳で亡くなるまで、多数の作品を残しています。
常に表現方法を刷新。堀文子の作品の特長とは?
▲堀文子がアトリエを持ったイタリア・アレッツォの街並み
シュルレアリスムの影響が見られたキャリア初期
美術学校を卒業した頃の彼女は、雑誌の挿絵などを手掛けていました。当時の作品には、シュルレアリスム(※)の影響も見られます。その後、1961年からヨーロッパを旅したことをきっかけに、伝統的な日本画への回帰を図ることとなりました。
非合理的なもの、または意識下の世界を追求した20世紀を代表する芸術思潮。芸術の革新を企て、文学だけでなく美術界にも波及した芸術活動や様式を指す。
一貫した画風を排除した創作活動
大自然の中に生きる草花を描き、「花の画家」と呼ばれた堀文子。彼女は100歳でこの世を去るまで多数の作品を生み出してきました。堀文子の作品は非常に幅が広く、ひとつの表現方法・画風に囚われないのが特長と言えるでしょう。
自身も「私には一貫した画風はない」と語っており、常に新境地を生み出す姿勢でさまざまな作品を制作しました。すさまじい好奇心・探求心で国内外を駆け回り、自身の芸術表現を刷新し続けた堀文子らしい作品の特長であるといえます。
「花の作家」として、絵本作家として人気。堀文子の作品の評価とは?
▲堀文子は軽井沢に移住し、自然とともに暮らしながら野山の草花や動物を描いた
「花の作家」として国内外で評価される
堀文子は草花を題材にした作品を多数描いており、「花の作家」として知られています。数ある作品群の中でも、花をモチーフにした絵画は国内外から特に高い評価を受けています。また、日本各地で毎年のように個展が開催されており、多くの人を魅了し続けています。
多彩な活動により、絵本でも世界的な評価を
このほか、堀文子は絵本や挿絵の制作も数多く手掛けていました。絵本「くるみ割り人形」は、イタリア・ボローニャの第9回国際絵本原画展でグラフィック賞を受賞しています。
また、堀文子の生き様そのものも、多くの人に影響を与えています。画文集や自身の生き方や思いを綴った著書を多数出版。人気作「ひとりで生きる」「群れない、慣れない、頼らない」などを始め、その優しく力強い言葉に感銘を受ける人は少なくありません。
画家としてだけでなく、さまざまな角度で多くの人に影響を与え、亡くなった今なお堀文子は多くのファンを獲得しています。海外で評価を得る「花」をテーマとした作品群をはじめ、彼女の作品は買取市場でも高く評価されています。
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堀文子の作品紹介
「アスパラガスとさくらんぼ」
制作年不明 水彩 F2号
料理本の表紙絵や本の挿絵など、野菜や果物を多く描いている堀。アスパラガスとさくらんぼというユニークな組み合わせから、堀の遊び心が伝わってきます。
「春花籠」
制作年不明 彩色 52×32.5cm
椿の花をメインに、春の訪れを伝える花籠。やさしい色合いで描き込まれ、春先のやわらかな空気と花の香りまでがリアルに伝わってきそうな一作です。
「五月雨」
制作年不明 彩色 F4号
凛と咲く紫陽花が梅雨の訪れを告げる作品。梅雨の時期の鬱屈した気分すら払拭してくれるような、鮮やかな彩りが魅力的です。
まとめ
生涯を通じて自然と命に向き合い、その美しさを描き続けた堀文子。その研ぎ澄まされた感性と尽きることのない好奇心と探究心から生み出された作品は、今までもこれからもわたしたちに新鮮な驚きと感動を教えてくれるに違いありません。
多彩な活動で、多くの人に根強い人気を誇る堀文子。特に「花」をテーマとした作品の数々は、国内外で高い評価を得ています。例えば、小さなキズや汚れがついた作品であっても、ものによっては買取査定でも高く評価されています。堀文子の作品の買取を検討している方は、お気軽にご相談ください。
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