鮮烈な色彩とめくるめくイメージ世界。アフレスコ画家・絹谷幸二のプロフィール・作品の魅力を解説。
日本の現代美術界において、現在進行形で活躍し続けている画家、絹谷幸二。イタリアの古典フレスコ画(壁に直接絵を描く技法のひとつ)に日本画の画材を取り入れ、独自の「アフレスコ画(※1)」を確立。
絹谷は日本美術界に新たな風を吹き込みました。鮮烈な色彩とエネルギーに満ちた作品は、見る者の心に強いインパクトを与えます。また、次世代の教育やパブリックアートの制作なども手掛け、美術と社会を繋ぐ活動にも尽力しています。
この記事では、そんな絹谷幸二のプロフィールをはじめ、作品の特長・評価などについてご紹介します。
絹谷幸二は、一般的にフレスコ画(壁に直接絵を描く技法のひとつ)と呼ばれる技法のことを、イタリア語の表記「affresco」にちなんで「アフレスコ」と呼ぶ。
アフレスコ画で美術界を席巻。絹谷幸二のプロフィール
▲絹谷幸二がフレスコ画を学んだ、イタリアヴェネチアの街並み
古美術に囲まて育った幼少期。大学時代から才能の片鱗を見せる
絹谷幸二は、1943年奈良市に生まれました。祖父の収集品であった古美術に囲まれて育ち、高校時代には奈良県美術展に油彩が入選するなど、若いころから美術の才覚を表していました。
1966年に東京藝術大学美術学部に入学。卒業制作の「蒼の間隙」は、大橋賞(※)を受賞しています。卒業後は同大学の大学院壁画科へと進学、フレスコ古典画の研究を行いました。壁画科を選んだ理由は、大学3年時に法隆寺の壁画を見て感銘を受けたためでした。
関西の企業家・化学者として活動し、美術コレクター・パトロンとしても著名な大橋嘉一氏(1896~1978)が設立。東京藝術大学へ寄付し、賞を設立した。
イタリアでフレスコ画を学び、独自の「アフレスコ画」を構築
大学院課程を修了後は、東京芸術大学の副手(作業や研究の補助)に。その後1971年には、イタリアのヴィネチアアカデミアに留学。フレスコ画の第一人者として知られるブルーノ・サエッティのもとで古典・現代フレスコ画の研究に邁進しました。また、ヨーロッパ各地を旅行し、そこでさまざまな見聞を得ました。
帰国後は、イタリアで学んだフレスコ画の技法に日本画の画材を取り入れるなど、独創的なスタイルを確立。精力的に創作活動を続け、1974年31歳のときに、画家の登竜門といわれる安井賞(※)を歴代最年少で受賞しました。その後も国内外の高名な美術展で多数の賞を受賞。日本はもちろん、世界的な画家として脚光を集めていきます。
新人洋画家の登竜門。画壇の芥川賞とも言われる。
現在進行形で美術と社会を結ぶ活動に邁進
「芸術家は社会参加をするべき」と考えのもと、後世の指導にも尽力しています。1981年には日本大学芸術学部客員助教授に、1993年には東京藝術大学美術学部教授に、2010年には同大学の名誉教授に就任。さらには、大阪芸術大学教授に就任するなど、後進育成に熱心な教育者としても知られています。
このほか、1997年には長野オリンピックのポスターデザインを、2008年には渋谷駅壁面パブリックアート「きらきら渋谷」の制作を手掛け、美術と社会を結びつける幅広い活動を行っています。長年の芸術活動と社会活動の功績が称えられ、2014年には文化功労者に選出されました。
「アフレスコ画」に代表される独自の世界観。絹谷幸二の作品の特長
▲世界的に知られるイタリア・システィーナ礼拝堂のフレスコ画
フレスコ画法×日本画の画材。独自のインプットで鮮烈な表現を確立
絹谷幸二のアフレスコ画の特長は、なんといってもその鮮烈かつ複雑な色彩、現代的な造形感覚と構図、ダイナミックなタッチにあると言えるでしょう。イタリアで学んだ伝統的なフレスコ画法に日本画の画材を取り込んだ独自の技法を用い、新たな表現を生み出しました。
女性・富士山・仏像…多彩な画題も絹谷幸二作品の特長
また、画題の多彩性も特筆すべき点です。風景や人物・静物などさまざまな事象を絡ませ、唯一無二の世界観を表現しています。中でも、女性や富士山・仏像などは絹谷幸二の作品に欠かせないモチーフです。
美術に明るくない方でも、彼の作品をひとつでも知っていれば、他の作品を見てもすぐ「絹谷幸二の作品だ」とわかるのではないでしょうか。絹谷の作品はそれほどまでに独特で色彩鮮やかな画風の作家です。
国内外に多数のファンが。絹谷幸二作品の評価とは?
▲絹谷幸二が影響を受けたイタリアの古典フレスコ画(サンタマリア・デッレ・グラッツェ教会)
類まれなセンスと努力で若かりし頃から賞に輝く
イタリアの古典フレスコ画に日本画の技法を取り入れた絹谷幸二のアフレスコ画。このような技法を用いる作家は日本では少なく、一目で彼の作品とわかる唯一無二の作品は国内外で高い評価を受けています。
若い頃からその類稀なセンスと真摯な努力によって才覚を表しており、大学院修士課程修了後、第36回独立展に出品し、独立美術協会(※)の会員に。3回の出品で会員になったのは、最年少・最短での快挙でした。
1930年11月に創立した日本の美術家の団体。当時の前衛的画家が多く所属し、昭和期の画壇の一大勢力となる。毎年一般公募の展覧会を開催していることでも知られる。
日本・アジア・欧米で評価を得る絹谷幸二作品
絹谷幸二の芸術家としての人生に転機が訪れたのは、1970年に銀座の資生堂ギャラリーにて初の個展を開いた頃のこと。この個展をきっかけに、日本国内のみならず世界的にも彼の作品が評価されるようになっていきました。その後、1974年には、「アルセルモシ氏の肖像」で最年少にて安井賞を受賞。1980年にはアジア現代美術展に出品しています。
美術と社会をつなぐ活動で唯一無二の存在に
また、1997年の長野オリンピックではポスターのデザインを、2008年には渋谷駅壁面のパブリリックアート「きらきら渋谷」を制作。美術と社会をつなぐアート活動で大きな注目を集めています。 2016年には大阪梅田スカイビルタワーウエストに「絹谷幸二 天空美術館」が開館。彼の新旧の作品の数々が展示されているほか、世界初の試みである大迫力の3D映像体験やワークショップ・アトリエスペースなどが設置され、幅広い世代のファンを魅了しています。もちろん、買取市場においても非常に高い評価を得ており、常に高値で取引されている作家の一人です。
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絹谷幸二の作品紹介
「新世紀朝陽富士」
リトグラフ 37.9×47.2cm
2001年に制作された「新世紀朝陽富士」は、絹谷幸二の代名詞ともいえる富士山をモチーフにした作品です。フレスコ技法に基づいた特殊な画法が特長的で、原色を多用した鮮やかな色合いと独創的な構図が目を惹きます。
「VIVA ROSSA」
2001年制作 キャンバスにミクストメディア(※性質や種類の異なる複数の媒体または素材を用いる技法) F0号
「富士」や「ヴェネツィア」をモチーフが人気の絹谷ですが、それらに並ぶ人気のモチーフが「薔薇」。色鮮やかな薔薇が画面に所狭しと咲き誇る構図が特徴的。
「黄金光旭光 ヴェネツィア」
リトグラフ 24×33cm
ヴェネツィアに差し込む黄金の光が中央の太陽をさらに際立たせ、ヴェネツィアの街並みから人々の活気が伝わる一作。
この他、「蒼天富獄双龍飛翔(富士山)」「薔薇薫る」「ベニス」などなど、絹谷幸二はそのキャリアの中で数々の代表作を作り上げています。
まとめ
古典フレスコ画に日本画の技法を取り入れ、色彩豊かでエネルギーに満ちあふれた独自の画風「アフレスコ画」を確立した絹谷幸二。その唯一無二と呼ぶにふさわしい作品たちは、これからも多くの人を魅了していくでしょう。
国内外で高い評価を得る絹谷幸二の作品は買取査定の評価が高い作家の一人です。キズや汚れがついた作品であっても、作品によっては高値で取引されています。絹谷幸二の作品の買取を検討している方は、お気軽にご相談ください。
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