代表作「シベリヤ・シリーズ」で知られる香月泰男の軌跡
香月泰男は、第二次世界大戦後のシベリア抑留の体験をもとにした57点の油彩画からなる「シベリヤ・シリーズ」で知られる洋画家です。過酷な体験と記憶をベースに描かれたこれらの作品は、戦争の悲惨さ・人生の悲哀を突きつけると同時に、人間愛や平和を強く訴えかけます。
黒と黄土色を基調とした暗鬱な色調、木炭などを混ぜた特殊な油絵具を塗り重ねる手法によって描かれた絵画は、一目で香月の作品とわかる独特なもの。戦後日本美術史を代表する洋画家として、没後40年を経過した現在でも高い人気を誇ります。
大戦を経て「シベリヤ・シリーズ」の制作へ。画家「香月泰男」の生涯
▲香月泰男が抑留されたシベリヤの地
画家・美術教師として活動。1942年に召集され、大戦後シベリアへ
香月泰男が生まれたのは1911年、現在の山口県長門市三隅。幼い頃に両親と生き別れますが、厳格な祖父のもとで育てられ、幼少期から画家になることを夢見ていました。
1931年に、東京美術学校・西洋画家に入学。藤島武二(※)の教室に師事し、ゴッホやパブロ・ピカソ、ヴラマンクなどの画家に尊崇し、表現を学びます。
卒業後は、北海道や山口県の高校で美術教師として教鞭を執る傍ら、自らの制作活動も続けていました。そして1938年に結婚し、二男二女の父に。しかし、時は大戦下。1942年に召集令状を受け、翌43年から旧満州に出征します。大陸で終戦を迎え、その後シベリヤに連行され、そこで2年間収容所での生活を余儀なくされました。
鹿児島の生まれ。最初は日本画、その後洋画を学び、東洋的人物画の完成に努めた明治末から昭和にかけて活躍した洋画家。白馬会創立会員。文化勲章受章。
日本に帰還後「シベリヤ・シリーズ」に取り組む
1947年、シベリヤ抑留から引き揚げ、日本に帰還。郷里の山口県に戻り、すぐに「シベリヤ・シリーズ」の第1作として位置付けられる「雨<牛>」を、その翌年には第2作目となる「埋葬」を描くなど、戦争と抑留の体験を絵画化しました。また、教職にも復帰し、再び高校教師として教壇に上りました。
その後、50年代に入ってからは作風が一変。台所の風景や動物や植物など、身近なモチーフを明るい色調で描く作風へと変化し、当時の香月は「厨房の画家」と評されていました。
50年代後半になると、再び「シベリヤ・シリーズ」の制作を開始。1969年には、同シリーズが第1回日本芸術大賞を受賞しました。その後も毎年少なくとも1点はシベリアを題材とした作品を制作し、その数は57点におよびます。人気作家の地位を得てからも、郷里の山口県を「ここが〈私の〉地球だ」と愛した香月。1974年に亡くなるまで、生涯故郷を離れることなく創作活動を続けました。
メランコリックな表現から独自の「シベリヤ様式」を確立。香月泰男の作品の特長
▲生涯をかけ、シベリアでの抑留体験を絵画に表現した
メランコリックな作風がシベリア拘留後一変
徴兵される以前の画風は、物憂いで心情を綴った豊かな美しい画風と淡い色彩を用いた油彩表現が中心でした。帰還後40年代に制作されたシベリヤを題材にした作品「雨<牛>」や「埋葬」には、戦前の画風が見られます。
「シベリア・シリーズ」から「厨房の画家」へ
50年代に入ってからは、自身の過酷な戦争・抑留体験を描くのを止め、動物や植物、テーブルに置かれた食材など身近なモチーフを描く作風に変化します。明るい色彩を好んで用いるようになり、どこか滑稽ささえ漂う簡略化されたモチーフを描いていました。
幼い頃に両親と生き別れたこと・戦争と抑留の体験などから、自身の手の届く世界や家族と過ごす時間に大きな幸福を感じ、それらを描くことで「暗黒の時代は終わったのだ」と己を諫めたかったのかもしれません。
「シベリヤ・シリーズ」の制作に再び取り組んだ晩年
その後50年代後半になると、「厨房の画家」と呼ばれた時代にあった明るい色彩は徐々に消えていき、再度「シベリヤ・シリーズ」の制作を開始します。
後に香月のトレードマークともいわれる黒と黄土色を基調とした作風が確立されたのはこの頃で、「シベリヤ様式」とも呼べる独自の表現方法を確立します。以降は「シベリヤ・シリーズ」の新作が発表される度に、画家としての評価を高めていきました。1974年に亡くなるまで描き続けた「シベリヤ・シリーズ」は、全部で57点にも及んでいます。
美術品市場でも価格が高騰。評価が高まり続ける画家「香月泰男」
▲香月泰男美術館がある山口県長門市
独自の表現方法が評価され、1970年代には人気画家に
香月泰男が画家としての大きく認められたのは1969年のことでした。「シベリヤ・シリーズ」で第一回日本芸術大賞を受賞。1970年代には人気画家としての地位を得ました。
彼の作品のほとんどが没後しばらくは香月家で保管されていましたが、1979年に遺族が「シベリヤ・シリーズ」をはじめとする作品を山口県に寄贈・寄託。山口県立美術館に展示されることとなります。
没後に美術館が開館。現在でも高まり続ける「香月泰男」の評価
1993年には、郷里の山口県長門市に香月泰男郷美術館が開館。香月の代名詞とも言える「シベリヤ・シリーズ」はもちろん、「厨房の画家」と評された時代に描かれた、郷里の自然や家族を題材にした絵画から、廃材を利用して制作した「おもちゃ」と呼ばれるオブジェ群など、多数の作品を鑑賞することができます。
香月泰男の作品は、没後なお高値で取引されています。2014年の落札平均価格は248万円でしたが、2018年には620万円に上昇。美術品市場での再評価が進んでいます。
香月泰男買取
香月泰男の代表作品紹介
「カーネーション」
香月特有の黄土色の背景とカーネーションの赤色が映える作品。身の回りにあった一輪のカーネーションを写し、素朴ながらも香月が大切にしていた「一瞬一生」をも表現しているよう。
「芍薬」
まるで芍薬の白を際立たせるかのような黒い背景。その卓越した構図と色彩のコントラストが芍薬の華々しさ、凛々しさをより際立たせる。
「業火」(シベリア・シリーズ)」
シベリア・シリーズは、帰還後、故郷で平和な日常を送っている際に、ふと蘇った記憶をもとに描かれているため、シリーズと銘打っているものの、実際に体験した通りの順番には描かれてはいない。香月は、その脳裏に焼き付いた光景を絵画にすることで、自らを慰めていたのかもしれない。
まとめ
太平洋戦争とシベリア抑留をテーマとする一連の油彩画「シベリア・シリーズ」によって、戦後の洋画壇に確たる地位を築いた香月泰男。自らの過酷な体験を掘り起こしそこに人間の真の姿を描いた作品は、今なお人々の心を大きく揺さぶっています。
そんな「香月泰男」の作品は、現代においても非常に高く、美術品市場でも買取額が上昇傾向にあります。「シベリヤ・シリーズ」を中心に、人気作品であればキズや汚れがあっても高額買取が期待できます。「香月泰男」の作品の買取を検討している方は、ぜひ一度ご相談ください。
洋画高額買取