江戸時代後期に活躍した天才絵師・円山応挙
江戸時代後期に京都で活躍した天才絵師・円山応挙。
「円山派」の祖であり、香川県にある金毘羅宮の襖絵(ふすまえ)の「遊虎図」(水呑みの虎)や、足のない幽霊の先駆けとも言われる東京・谷中にある全生庵の「幽霊図」、三井記念美術館が所蔵する国宝「雪松図屏風」など、多数の名作を残しました。
写生を基軸に伝統的な日本画の装飾技法を取り入れた円山応挙の絵は、現在でも高い評価を受けています。この記事では、そんな円山応挙の生い立ちをはじめ、作品の特徴や魅力についてご紹介します。
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円山派の祖、円山応挙の生い立ち
▲円山応挙が生まれ育った京都の街並み
京都で狩野派画家・石田幽汀に師事していた頃の円山応挙
円山応挙は、1733年丹羽国(現在の京都府)に農家の次男として誕生しました。10代後半に京に出て、狩野探幽(※)の流れを引く画家・石田幽汀(いしだゆうてい※)に師事します。
江戸初期の画家。鍛冶橋狩野派の祖。16歳という若さで幕府の御用絵師となり、幕府の障壁画の制作に従事する。淡泊な画風を特色とした「狩野幽霊様式」を確立。障壁画の他、写生図や古画の縮図なども数多く制作したと言われる。
(※)石田幽汀
江戸中期の画家。狩野派の一派である鶴沢派の技法を学んだ。鶴沢派の技法に狩野派や琳派風の装飾性と写生的な描写を加えた独自の画像を確立する。画家としてだけでなく、教育者としてもすぐれた才覚を示し、円山応挙など多くの画家を輩出する。
また、絵の修行をする一方、ガラス製品や人形を扱う玩具商に勤めていました。そして、そのときに出会った眼鏡絵(※)に感銘を受け、京都の風景を眼鏡絵で制作しています。
西洋画の遠近法を用いた絵を、凸レンズをはめた「覗き眼鏡」でみる風景画のひとつ。立体感や奥行きが得られる。
写生に日本画の装飾を融合させた「円山派」を確立した円山応挙
一方で、彼は中国画で用いられていた写生の技術を研究していました。そして、伝統的な日本の装飾画法と写生を融合させた独自の画風を確立。後に「円山派」の祖と呼ばれるようになります。
30代になると、滋賀・大津市の三井寺円満院の門主・祐常や三井家をはじめとする京都の町衆から支援を受け、数々の作品を制作します。応挙の代表作である「七難七福図」や「孔雀牡丹図」などは三井寺円満院に、また「雪松図」は三井家に伝来していたとされています。
1795年に63歳で死去した後も、応挙の写実的描写を得意とした技法は多くの弟子たちによって受け継がれていきました。
円山応挙の作品の特徴。写生と伝統的な装飾画技法を融合
▲円山応挙の「幽霊図」が保管されている東京・谷中の「全生庵」
近代日本画家の中でも際立って「写生」を重視した円山応挙
近現代の京都画壇にまで系統が続く円山派(※)の祖として知られる丸山応挙。彼の作風として最も特徴的なのは、近世の日本の画家のなかでも際立って「写生」を重視した点です。彼は常に写生帳をたずさえ、暇さえあればスケッチをしていたと伝えられています。
また、円山応挙は龍などの空想上の生き物も、まるで見たことがあるかのように写実的に生き生きと表現しました。今では定番の足のない幽霊を描き始めた最初の画家とも言われ、東京・谷中の全生庵にはかの有名な「幽霊図」が保管されています。
円山応挙を祖とする画派。日本画の代表的な流派のひとつ。長沢蘆雪、川端玉章らが有名。
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写生に日本画の装飾画法を融合、「円山派」を確立
このような写生の技術を基礎としながら、円山応挙は日本画の伝統的な装飾画法を取り入れていきました。その画風は、現在三井美術館に所蔵されている「雪松図屏風」や根尾美術館に所蔵されている「藤花図屏風」などに見ることができます。
前者の「雪松図屏風」では、応挙の代表的な表現技法である輪郭線を使わずに墨の濃さだけで立体感を表現する「付立(つけた)て」が用いられています。一方、後者の「藤松図屏風」では、華麗な色彩表現や複雑に絡み合う立体的な造形などが見られ、円山応挙の写実様式の真骨頂ともいえます。
円山応挙作品の評価は?現在も高い評価を受ける人気画家
▲応挙の襖絵「遊虎図」(水呑みの虎)が見られる香川県の金比羅宮
江戸時代後期に京都でも最も人気を誇った、円山応挙。その独特の画風と作品のインパクトの高さから、円山応挙は江戸時代を代表する画家のひとりとして現代に語り継がれています。歴史や美術の教科書でも紹介されているため、芸術や美術に詳しくない方でも円山応挙の作品を一度は見かけたことがあるかもしれません。
数ある円山応挙の作品の中でも、金毘羅宮の襖絵「遊虎図」(水呑みの虎)や、足のない幽霊の先駆けとも言われる全生庵の幽霊図、三井記念美術館が所蔵する国宝「雪松図屏風」、根尾美術館所蔵の「藤花図屏風」など、円山応挙の作品は現在でも高い評価を受けています。
また、最近では「仔犬図」という3匹の子犬が描かれた絵がツイッターなどのSNSでも人気で、若い世代にもその繊細な描写に惹かれる人が多くいます。
江戸時代から現代まで、多くの人々に愛され続ける円山応挙作品は、買取市場でも高額で取引されています。
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絵画だけでなく掛軸の作品も。円山応挙の作品紹介
「雪柳狗子画」
子犬たち3匹が雪の中を戯れる愛らしい作品。他の動物絵とは違い、最小限の線だけで子犬の輪郭を描き、ころころとしたかわいらしさが表現されています。愛犬家として知られる応挙だけに、子犬たちの仕草を日頃から観察し、その瞬間瞬間を切り取ったひとコマなのでしょう。
掛軸 彩色 「鴨・鷺」
応挙が得意とする動物モチーフのひとつである鳥。出世作の「双鶏図」は、あまりのリアルさに絵から抜け出してしまうのではないかと画面を金網で囲っていたという逸話まで残るほど。こちらの2羽の鳥においても幾度となく写生を繰り返し、余計な線を取り除いた最小限の線だけで写実的に描き込まれている。
額装 墨彩 「虎図」
虎も応挙の作品の中でも人気のモチーフ。当時日本には虎はいなかったため、輸入された虎の毛皮から生きた虎を想像して描いていたそう。獰猛なイメージの虎も、応挙が描くとどこかコミカルな表情になり、愛らしささえ感じます。
この他、「犬」「幽霊図」など、現代でも高く評価される作品を数多く生み出す円山応挙。その作品の数々は、今もなお多くの人に愛され続けています。
まとめ
江戸時代後期に京都で活躍した絵師、円山応挙。彼の確立した写生と伝統的装飾画を融合させた技法は、「円山派」として後世に受け継がれ、日本画界に大きな影響を与えました。
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