アルフォンス・ミュシャとは?しなやかな女性と美しいデザインで魅せるアール・ヌーヴォーの代表画家
アルフォンス・ミュシャは、チェコに生まれ、19世紀後半~20世紀初頭に活躍したアール・ヌーヴォーの代表的な画家です。
異国趣味や古典・神話の世界の女性をしなやかに描き、草花や文字、幾何学的な装飾をレイアウトした美しいポスター・商業デザインは、多くの人を魅了し続けています。現代でも世界中で展覧会が開催される人気作家の一人です。
ミュシャの表現方法は日本にも伝えられ、藤島武二らが模倣。与謝野晶子『みだれ髪』の表紙絵などが有名一方でミュシャ作品の特長である線を強調した平面的な表現は、日本画の影響を受けたともいわれています。
パリの女優サラ・ベルナールの舞台『ジスモンダ』のポスターで一躍名を上げるまでは苦難の日々を送ったミュシャ。晩年はスラヴ民族の誇りと祖国愛を作品に表しました。この記事では、ミュシャの人生と作品の魅力についてご紹介します。
(参照)
https://www.wikiart.org/fr/alfons-mucha
アルフォンス・ミュシャとは。アール・ヌーヴォーを代表する画家
▲アルフォンス・ミュシュが生まれ育った「チェコ」の街並み
画家・ミュシャの下積み時代。18歳で美術学校に落選。
アルフォンス・ミュシャは1860年7月24日、現在のチェコ共和国、南モラヴィア地方イヴァンチッツェという小さな村に生まれました。18歳の時にプラハの美術学校を目指しますが、書類審査で落選してしまいます。その後19歳でウィーンに行き、演劇の舞台装置を作る工房で働きながら、夜間の絵画教室でデッサンを学ぶ日々を過ごします。
20代の頃は地元の名士の肖像画などを描いて収入を得ていました。城内の絵の修復などを手掛けた縁で、エゴン伯爵から奨学金の援助を受け、ミュンヘンの美術学校に入学。そこで古典的写実表現などを学びました。
援助が打ち切られてからは、チェコやフランスの出版社の装丁挿絵の仕事を手掛けていました。
ミュシャの人生を変えた、サラ・ベルナールの舞台「ジスモンダ」ポスター
1894年、35歳のミュシャに転機が訪れます。
貧しかったミュシャはリトグラフの印刷所で働いていましたが、そこにパリの人気女優サラ・ベルナールから依頼が舞い込みました。偶然にもミュシャが手掛けることになった舞台「ジスモンダ」のポスターが貼りだされるやいないや、パリ中で大評判に。一躍ミュシャは有名になり、舞台も好評を博したことから、サラとミュシャは6年間の契約を結ぶことになりました。
ミュシャの作品は市井の人々に大変人気で、煙草用巻紙、シャンパン、自転車など、生活に身近な数々の商品の企業ポスターを手掛けることとなりました。やがてミュシャは世界中の注目を集めるアール・ヌーヴォー(※)の画家として名声を確立します。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパを中心に振興した美術運動。「新しい芸術」の意味。
(参照)
https://www.beauxarts.com/grand-format/lart-nouveau-en-3-minutes/
後年は祖国のために絵画を制作したミュシャ。大作「スラヴ叙事詩」
ミュシャは、パリでの成功に満足することなくたびたびアメリカに渡り、各地で展覧会、肖像画制作、また教鞭を執るなど、積極的に活動します。そのアメリカの活動で得たお金は、チェコでの制作の資金にしていました。スラヴ民族の血を引くミュシャは、芸術を通して祖国のチェコに貢献したいという思いが強くあったのです。
1910年ミュシャが50歳のとき、活動の拠点をチェコに移します。スラヴ民族の歴史をテーマにした芸術活動に専念し、大作「スラヴ叙事詩」の制作年月は18年、全20枚にも及びました。1918年のチェコスロヴァキア共和国建国の際には、最初の国章・切手・紙幣のデザインを手掛けました。
晩年は肺炎を患ったミュシャ。ナチスの警察に逮捕された後さらに体調を崩し、1939年7月14日、79歳でこの世を去りました。
アルフォンス・ミュシャ作品の特徴。美しい女性と多様な線の技法
▲アルフォンス・ミュシュの作品「JOB」
リトグラフで複製可能な商業芸術。線と色合いを巧みに表現
ミュシャの代表的な作品であるポスターや装飾パネルはリトグラフという技法で作られています。リトグラフとは、石版画とも呼ばれる版画の一種で、複雑な線や色合いをイメージ通りに再現することができます。
この手法が、ミュシャの作品の特徴である太い曲線と細い曲線の使い分けと、それまでの商業デザインになかったマットな塗りと淡く美しい色彩の表現を可能にしました。
当時は珍しい淡い色彩も、線に力があるからこそ。あえて輪郭を太く強調し、たなびく髪・布などの繊細な部分は細い線で描いています。この表現方法は浮世絵から着想を得ているそうです。
美しい女性とアール・ヌーヴォーに象徴的なモチーフ
ミュシャ作品の特徴はなんといっても知っている人なら一目で分かる、大胆な構図、アール・ヌーヴォーに象徴的な草花・幾何学模様・文字の装飾です。
ただ美しいだけではなく、すべて商品や女優など、モチーフへの視線誘導を意図して描かれています。
これも商業デザインがメインだったミュシャ作品の大きな特徴といえるでしょう。
アルフォンス・ミュシャの作品の評価は?今なお人気は色褪せない
ミュシャは19世紀後半から起こった「新しい美術運動」アール・ヌーヴォーの代表的作家といわれています。
サラ・ベルナールの「ジスモンダ」のポスターの構図・画面構成・描線・色合いは衝撃的で、すぐに評判になりました。
商業デザインが多いミュシャの作品ですが、商業的にも成功させながら芸術性も損ないませんでした。また1点ものの作品ではなく、気軽に手に取れるリトグリフといった複製芸術だからこそ、人々が身近に感じ、ミュシャの人気はここまで広がったのでしょう。
1897年には、『ジュルナル・デ・ザルティスト』誌による初の個展が開催されました。以降ニューヨーク、ボストンなどでの個展も人気になり、今なお世界中で多くの個展が開かれています。
日本の人気も根強く、堺 アルフォンス・ミュシャ館(大阪府)のような常設の文化施設や、2019年7月13日から9月29日まで行われた「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ――線の魔術」のように、定期的に展覧会が催されています。
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アルフォンス・ミュシャの作品紹介
「ジスモンダ」
「ジスモンダ」はミュシャが脚光を浴びるきっかけになった作品です。当時の有名女優サラ・ベルナールが劇作家ヴィクトリアン・サルドゥー作『ジスモンダ』に主演することになり、偶然ミュシャにポスターを依頼することになりました。
初期作品ではありますが、様式化された幾何学や草花の装飾・文字のあしらい・極端に縦長な画面構成・均一的で平面的な描線など、その後に共通するミュシャ作品の特長がはっきりと表れています。
「黄道十二宮」
「黄道十二宮」はミュシャの代表作としてよく言及される、人気が高い作品です。印刷業者シャンブノアの依頼で、室内カレンダーとして制作されました。
太陽の軌跡である黄道と、その黄道を12等分して各部分に星座を当てはめた黄道十二宮をテーマとしています。天使ケルビムの横顔が中央に配置され、黄道十二宮を象徴する星座、不滅のシンボルである月桂樹、昼と夜の象徴のヒマワリとケシなど、時を象徴するモチーフがあちこちに描かれています。また、模様が囲むデザイン、たなびく髪の造形での視線誘導など、デザイン的にも見事であり、完成度の高い作品であることは間違いありません。
さまざまな商業デザインに使用され、少なくとも9種類が存在するといわれています。
「ジョブ」
数々の企業から広告デザインを任されるようになったミュシャ。
その中でも有名なのが、タバコの巻紙製造会社であったJOB(ジョブ)社のためのポスター作品です。
商品そのものではなく、人物の姿をメインにして商品を表現するこのデザインは、当時斬新なものでした。視線誘導も特徴的で、女性の巻き髪から手に持つ巻きタバコへ、そこから燻る紫煙に視線が誘導され、さらに女性のモチーフで隠れていながらも“JOB”のロゴにもしっかりと目が行く設計になっています。
当時の油彩の流行とは違い、太い描線をしっかりと輪郭を描いているのが印象的です。細部は細かい線で描くなど、様々な太さの線を使い分け、線の力でしっかりとモチーフを目立たせています。
この他、アルフォンス・ミュシュは、そのキャリアの中で数多くの作品を手掛けています。ポップでありつつも、荘厳で優美なミュシュの作品に、ぜひ一度触れてみてください。
まとめ
アルフォンス・ミュシャの作品は、リトグラフによる商業ポスターなど民衆の身近にあった芸術でした。卓越した構図デザインで、アール・ヌーヴォーの旗手としても呼び声が高いミュシャは、今も展覧会が各地で催され、様々なパッケージに使われるなど、たくさんの人々に愛される人気作家です。
国内外で高い評価を得るアルフォンス・ミュシャの作品は買取査定の評価が高い作家の一人です。キズや汚れがついた作品であっても、作品によっては高値で取引されています。アルフォンス・ミュシャの作品の買取を検討している方は、お気軽にご相談ください。
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