新版画の旗手・川瀬巴水の作品は、北斎・広重と並び海外で大人気
川瀬巴水(かわせはすい)は、新版画の代表作家のひとりです。40年にわたり日本全国を旅し、木版画の風景画を600点以上制作しました。日本の原風景を叙情豊かに、木版画とは思えないほどリアルで色鮮やかに表現し、「旅情詩人」「旅の版画家」「昭和の広重」などと称されています。
アメリカの鑑定家ロバート・ミューラーの紹介により欧米でも大変人気が高く、葛飾北斎・歌川広重と並び、その頭文字から「風景画の3H(Hokusai,Hiroshige,Hasui)」と呼ばれています。あのスティーブ・ジョブズも愛好家の一人として有名です。
この記事では、近年日本でも人気が高まっている川瀬巴水の生涯と、作品の魅力についてご紹介します。
川瀬巴水とは。新版画を代表する作家
▲川瀬円水が生まれた芝区(港区)
川瀬巴水の生い立ち。画家としては遅咲きだった
川瀬巴水(本名・川瀬文治郎)は1883年5月18日、東京都芝区(現・港区)に生まれました。
25歳で父親の家業である組紐を継ぐことになりましたが、画家になる夢を諦めきれず、日本画家・鏑木清方(※)の門を叩きます。しかし、日本画を本格的に始めるには年齢が遅く難色を示され、洋画家の道を勧められました。その後に白馬会葵橋洋画研究所に入り岡田三郎助(※)から洋画を学ぶものの挫折してしまいます。
1910年27歳の時、一度は断られたものの正式に鏑木清方の画塾に入門し、「巴水」の画号を与えられます。
明治期から昭和期にかけての浮世絵師、日本画家。「西の上村松園、東の鏑木清方」と称される、美人画の巨匠。
(※)岡田三郎助
明治期から昭和期にかけて活躍した洋画家。女性像を得意とする。黒田清輝らとともに洋画団体「白馬会」を設立する。
川瀬巴水を新版画へと導いた出会い
1918年、伊東深水(※)の木版画「近江八景」に感激し、版画制作の道を志します。
そして同年、新しい版画を模索していた版元・渡邊庄三郎と運命的な出会いを果たします。庄三郎は、巴水の処女作「塩原連作」の3作品に感銘を受け、版元となる新版画の風景画を巴水に任せることにしました。この出会いが巴水の画家としての人生を決定づけ、版画の復興にも大きく寄与することとなります。
大正から昭和期の浮世絵師、日本画家。歌川派の浮世絵を継承し、日本画独特の曲線で描かれた美人画が有名。
川瀬巴水、日本中を旅しながら風景画を描く
巴水は精力的に活動し、「旅みやげ第一集」(1920年)、「旅みやげ第二集」、「東京十二題」(1921年)と次々に作品を発表しました。
しかし1923年に関東大震災で被災し、多くのスケッチを失ったことにより巴水は悲しみに暮れます。ですが、その後も諦めずに日本中を旅し、「旅みやげ第三集」、「日本風景集東日本編」などシリーズものを多く制作しました。単作では「日光街道」、「平泉中尊寺金色堂」などが特に有名です。
新版画は海外でも人気が高く、戦後数年間、日本を訪れた国賓の方々へ巴水の作品「増上寺の雪」と伊東深水の作品「髪」が2点セットで政府からプレゼントされていたこともありました。
そして、1952年に「増上寺の雪」が、版画の技術を残すための無形文化財技術保存記録の作品に認定されました。
1957年に胃がんのため死去。600点余りの多くの作品を残した74歳の生涯でした。
新版画の代表作家・川瀬巴水の作品の特長
▲「川瀬巴水 月島の雪」
新しい版画の表現に挑戦。多くの色を使用し鮮やかに描く
川瀬巴水は新版画の中でも風景画の代表絵師とされています。新しい浮世絵と呼ばれる新版画は、江戸時代の浮世絵と同様の作成方法である、絵師・彫師・刷師という分業制を採用した作品です。原画絵師である巴水の意図を最重視し、彫り、刷りの技術も熟練の技を持った職人が制作しています。
一方で、新版画には江戸時代の浮世絵とは違った面もあります。下刷りをして色に深みを持たせたり、バレンで刷った跡をあえて残したりするなど、様々な木版画の表現に挑戦しています。
巴水の作品は複雑で鮮やかな色合いが特長で、1作品につき平均30色以上の色数を使用しています。北斎の「赤富士」は7色、広重の作品は最も多い色数でも33色と言われているので、色の表現への強いこだわりを感じさせます。
作品は時間の経過により和紙が柔らかく色もなじみ、落ち着いた風合いになってきます。後摺りの作品も多く流通し、平成に製作された作品は「わたなべ」という朱印が入っています。
日本中を旅し、叙情的な風景画を描く
「旅情詩人」「旅の版画家」とも呼ばれた巴水は、日本中を旅して各地の風景を描きました。雪や雨などの天候、明け方や夕暮れ、月など、場所と環境要因を組み合わせて叙情的に表現する風景は、見る人の郷愁を誘います。波止場や乗用車、ときにはサンタクロースなど、江戸時代の浮世絵にはなかったモチーフが描かれているのも新鮮です。
川瀬巴水、作品の評価とは?
日本では近年知名度が高まる。海外セレブにも人気
川瀬巴水の作品は、日本での流通は希少となっています。その理由の1つは、戦争や関東大震災で失われてしまった作品が少なくないこと。2つ目の理由は、多くの作品が海外に渡ったためです。最高の木版画技術と近代日本の懐かしい風景というモチーフは、外国人の間でも好まれました。アメリカではセレブにもコレクターが多く、あのアップル創業者スティーブ・ジョブズもファンであることが有名です。
日本ではもともと愛好家には知られていましたが、世間での知名度はあまり高くはありませんでした。しかし、2009年に江戸東京博物館で回顧展『よみがえる浮世絵-うるわしき大正新版画』が開催されたことで、徐々に認知されるようになりました。2021年には、平塚美術館、町田市立国際版画美術館、SOMPO美術館など、複数の美術館で展覧会が予定されるなど、人気作家となっています。
版画は「初摺り」か「後摺り」かで大きく作品の値段が変わってきます。川瀬巴水の作品は初摺りでも20~100万円くらいと人気作家の中でも手頃な価格ですが、近年では高額になってきています。絵柄や作品の状態、作品の流通枚数で市場価格は変動しますが、人気の絵柄や大正時代の古い作品は100万円以上の価格がつくものもあります。
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川瀬巴水の作品紹介
「川瀬巴水 木版 荒川の月(赤羽)」
1929年制作。「東京ニ十景」のうちの一点です。暗闇の中に明るい月が昇り、隠れていた雲が照らされた静寂の月夜が描かれています。川の水面に映る陰影部分も藍色の濃淡をグラデーションで美しく表現しています。
「川瀬巴水 木版 相州前川の雨」
雨を描いた作品の中でも傑作のひとつです。当時の相州前川(現・神奈川県小田原市前川)の通りが見事に描かれています。雨が降りしきる薄暗がりの中、家から洩れる灯かりを光と影のコントラストで魅力的に描写しています。
「川瀬巴水 木版 芝増上寺」
「池上本門寺」は、1931年に制作されました。版画人生39年のうち、31年を東京都大田区馬込ですごした巴水は、池上本門寺を好んでよく描きました。五重塔をメインにした作品も複数あります。
雪が降る中、池上本門寺へ傘をさして参道を歩く着物姿の女性が描かれています。枝垂れた松や傘のさし方から吹雪く様を表現した叙情豊かな作品です。
まとめ
川瀬巴水は大正から昭和にかけて活躍した新版画の代表的な画家のひとりです。近年には人気が高まり、各地で展覧会が開かれています。
実際に各地を旅して描いた日本の原風景は、多くの人が懐かしさを感じることでしょう。
川瀬巴水は国内外で作品の評価も高く、買取査定の評価が高い作家の一人です。キズや汚れがついた作品であっても、作品によっては高値で取引されています。川瀬巴水の作品の買取を検討している方は、お気軽にご相談ください。
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