奇想の画家・伊藤若冲。「動植綵絵」など唯一無二の作風が評価される
江戸時代中期に活躍した画家・伊藤若冲。全30幅にも及ぶ「動植綵絵(どうしょくさいえ)」やモザイク画のような「鳥獣花木図屏風」などが有名で、身の回りの動植物を緻密に、そして生き生きと描いた大作を多数残しています。その写実的な作品は、日本のみならず海外でも高く評価されています。
85歳で亡くなるまで多くの作品を精力的に描き続けた伊藤若冲。「奇想の画家」「奇才」と称される若冲の、絵とともに生きた人生と作品についてご紹介します。
独自の作風を築き絵画に打ち込んだ伊藤若沖85年の生涯
▲伊藤若沖が生まれた京都の錦市場
伊藤若冲の若き日々。身近なものを写生し独学で絵を学ぶ
伊藤若冲は江戸中期の1716年、京都・錦市場(にしきいちば)の青物問屋「桝源(ますげん)」の裕福な家庭に長男として生まれました。10代半ばで狩野派の絵師・大岡春卜(おおおかしゅんぼく)に弟子入りしたとされていますが馴染めず、中国の宋元画(そうげんが)の模写や身の回りの動植物を写生して技術を習得していました。若冲の個性的な画風の土台は、こうして築き上げられたのでしょう。
その後、23歳に父親が急逝し家業を継ぎますが、若冲の興味は商売よりも絵画にあり、30歳頃から本格的に絵を学び始めました。
伊藤若冲と大典顕常、運命的な出会い。傑作「動植綵絵」の制作
若冲が絵画の道を進む上で重要な人物といえば、相国寺の僧・大典顕常(だいてんけんじょう)です。彼に画才を認められ、伊藤若冲は「若冲」と名付けられたと伝えられています。若冲は40歳頃に弟へ家督を譲り、相国寺へ移り住みました。そこで絵師として身を立てることを目指すようになります。
1757年、若冲42歳の頃から日本美術史に残る傑作「動植綵絵」の制作が始まります。それまで培った画力を遺憾なく発揮し、この作品は30幅にも及ぶ大作となりました。
50歳の頃完成した「動植綵絵」の一部を相国寺に寄進したことで、若冲の名が一気に世間に知れ渡り、人気絵師となります。
しかし、50~60代の作品は多くはありません。なぜならその頃の若冲は、地元である錦市場にて町年寄という要職に就き、市場の存続と繁栄に尽力していました。その詳細は「京都錦小路青物市場記録」という古文書に残されています。
晩年は絵を売って生活した伊藤若冲。絵画への情熱は生涯冷めやらず
1788年72歳のとき、若冲は天明の大火(※)によって自宅を消失するという不幸な出来事に見舞われ、大阪へ移り住むことになります。70代後半からは石峯寺に隠棲、弟からの支援も絶たれていたので、絵一枚を米一斗と交換するという、食べるために絵を描くその日暮らしを続けました。
晩年も絵に対する情熱は冷めやらず、金地に描かれた「仙人掌群鶏図障壁画(さぼてんぐんけいずしょうへきが)」などの大作を手掛けています。また、石峯寺の本堂に立ち並ぶ「石仏群・五百羅漢像」は、若冲の絵画への情熱は紙の上だけには留まらなかったことを表しています。この作品は下絵を若沖が描き、石工が石像を築くといった方法で、10年あまりの歳月をかけて完成しました。
1800年、病により息を引き取ります。生涯独身で、ただひたすら絵画に打ち込んだ85年の人生でした。
天明8年1月30日(1788年3月7日)に京都で発生した火災。鴨川東側の宮川町団栗辻子(現在の京都市東山区宮川筋付近)の町家から出火したことから「団栗焼け」ともいわれる。他にも、「申年の大火」「京都大火」「都焼け」などともいわれる。御所・二条城・京都所司代など当時の京都市街の8割以上が焼失。
伊藤若沖の作品の特長。緻密な描き込みと鮮やかな色彩で動植物を描く
多種多様な技術に裏付けられた写実的な描き込みと鮮やかな色彩
伊藤若冲の作品といえば、羽の先まで緻密に描き込んだ鶏、葉の虫食いまで執拗に描き込んだ植物など、写実的で見る人を圧倒するような緻密な描き込みと色彩の鮮やかさが特長です。
絵画の道を独自に歩んだ若冲は先進的な画家で、従来の日本画の技術に囚われない多くの技術を駆使しています。
例えば、色は重ね塗りで表現するのではなく、質の高い岩絵の具を、きめ細い画絹(がけん)の上に薄塗りしています。さらに紙の裏側からも絵具を入れる「裏彩色」技法を行っているため、現在でも鮮やかな発色は失われていません。
西洋画に影響を受けた「升目描き」というモザイク画のような技法や、「筋目描き」という紙への滲みと毛筆の勢いを多用した若冲オリジナルの技法で描かれた水墨画作品もあります。
独自の見方で生き生きと描かれた魅力的な動植物たち
若冲の作品には、たくさんの動植物が登場します。
中でも鶏を好んで描いており、自宅の庭で飼って観察、写生を繰り返していました。それにより「南天雄鶏図」のような写実的な絵が誕生します。
また「百犬図」のようにたくさんの愛らしい犬や、「雨龍図」のようにユニークな表情をした龍を描くなど、作品からは動植物への温かいまなざしとユーモアが伝わってきます。
写実的な作品だけでなく、コミカルな表情で動物を描いたり動植物を擬人化したりして表現するなど、自由な発想で描かれていることが、若冲が「奇想の画家」と称される所以でもあります。
伊藤若冲の作品の評価は?後年再評価され、現在も人気は続く
伊藤若冲は、存命中の江戸時代でも人気絵師でしたが、以降の時代にはあまり注目されていませんでした。しかし、1970年、東京大学名誉教授の辻惟雄氏の著書『奇想の系譜』で紹介されたことがきっかけで、若冲は岩佐又兵衛や曽我蕭白らとともに「奇想の画家」として再評価されることとなりました。
残念ながら弟子を持たなかったことで作品は伝承されず、その多くは海外へ渡っています。現在でも国内・海外ともに人気は高く、ニューヨークタイムズは若冲の絵を「生命の息吹を超越した作品」と評しました。
作品の価格は本人直筆の原画であれば数百万~数千万円にも及びます。贋作や模倣品、複製画も多く、そういったものは安価となります。2000年には、没後200年を記念して京都国立博物館で開催された大回顧展でその人気は不動のものになり、2016年には生誕300年を記念して「若冲展」が開催されるなど様々な展覧会が行われる、現在もブームが続いています。
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伊藤若冲の作品紹介
墨 「海老之図」
伊藤若冲といえば鶏のイメージが強いかもしれませんが、海老をはじめとする魚介類など、多種多様な動植物を描いています。海老の甲殻部分を「筋目描き」で描き、墨の濃淡で艶や活きの良さを表現している若沖らしさが表現された作品です。
まとめ
一度は歴史に埋もれかけた伊藤若冲。見る人を魅了する圧倒的な筆力と、ユーモアと優しさに満ちたまなざしで動植物を描いた唯一無二の作風で再評価されることとなりました。今でもたくさんの人に愛される人気画家です。
国内外で高い評価を得る伊藤若冲の作品は買取査定の評価が高い作家の一人です。キズや汚れがついた作品であっても、作品によっては高値で取引されています。伊藤若冲の作品の買取を検討している方は、お気軽にご相談ください。
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