ジュエリー・ガラス作家「ルネ・ラリック」。ふたつの顔を持つ奇才の作品の特徴と代表作
19世紀から20世紀のフランスで、アール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代にわたって活躍した作家ルネ・ラリック。前半生はジュエリーデザイナーとして、後半生はガラス工芸家として活躍しました。
この記事では、そんな異色の経歴を持つ稀代の芸術家、ルネラリックの生い立ちや作品の特長・評価などについてご紹介します。
大器晩成の芸術家、ルネ・ラリックのプロフィールの生い立ち
▲ルネ・ラリックが生まれたフランスのシャンパーニュ地方
宝飾デザイナーとしての地位を築くまで
ルネ・ラリックは、1860年フランスのシャンパーニュ地方に生まれました。その後パリで育ち、16歳のころ宝飾工芸家で金属細工師のルイ・オーコックに師事し、装飾の技術を学ぶと同時に夜間はパリの装飾美術学校に通っていました。1878年から1880年にイギリスに滞在。帰国後は宝飾デザイナーとして活動を始めます。
1885年には、パリのヴァンドーム広場に工房を構え、主に女性向けの高級アクセサリーのデザインを手掛けました。なかにはカルティエやブシュロンなどの著名な宝石店にもデザインや作品を提供。また、人気女優だったサラ・ベルナールの舞台用装身具やジュエリーの制作も行い、パリの演劇界や社交界とも親しくなっていきました。同じくサラの演劇ポスターを専属で描いたアルフォンス・ミュシャ(※)も同時期に活躍しています。
パリ万博での成功を機に、アール・ヌーヴォーの頂点に
1990年のパリ万博に出品した宝飾作品は、宝飾部門のグランプリを受賞。これを機に、ラリックはアール・ヌーヴォー作家としての地位を確固たるものにしました。
アール・ヌーヴォーの終焉とルネ・ラリックの転換
1900年のパリ万博以降、アール・ヌーヴォー様式は急速に衰退し、アール・デコの時代へと移り変わります。服飾デザイナーのポール・ポワレがコルセットを用いないドレスを発表したことをきっかけに、上流階級の女性たちはシンプルなスタイルを好むようになったのです。それとともにアール・ヌーヴォー様式の装飾品の需要も衰退していき、ラリックも大きな打撃を受けることとなりました。そこでラリックは、これまでの宝石に変わってガラスを使用したジュエリーの制作を始めました。
コティ社の香水瓶の制作を機に、ガラス作家に
ラリックがガラス作家として成功したのは、1907年に香水商のフランソワ・コティの依頼で、コティ社の香水瓶のデザインを手掛けたのがきっかけでした。ただのガラス製の瓶ではなく、香水のコンセプトに合わせた美しいデザインの瓶に香水を入れて販売するというのは、これまでにない斬新な試みだったため、大きな注目を集め大変な人気を博しました。
1908年にはパリにガラス工房を借り、本格的にガラス工芸品の制作を始めます。そして、1912年になるとガラス工芸の制作に専念するようになります。アール・ヌーヴォーの象徴的存在にまで上り詰めたラリックでしたが、宝飾作家としてのキャリアと決別し、ガラス作家として活動していくことを決めたのでした。
再びパリ万博で、アール・デコ作家として第二の成功を収める
1925年に開かれたパリ万博は、通称アール・デコ展と呼ばれ、アール・デコ様式の頂点ともいえる催しでした。そこでラリックは、ガラス部門の責任者を務め、自社のパビリオンを展開。高さ5メートルにもおよぶガラスの噴水塔を出品し、人々を魅了しました。これを機に、ラリックはアール・デコのガラス作家として第二の成功をおさめたのでした。
ルネ・ラリックの作品の特長とは?精巧な作りと独創的なデザイン
▲ルネ・ラリックはパリ万博を機に大きな成功をおさめた
彫刻的な作風
ラリックは、アール・ヌーヴォー時代にはジュエリー作家として、アール・デコ時代にはガラス作家として活躍しました。そんな彼の作品は、扱う素材こそ違えども、いずれも彫刻的な作風が特長です。ジュエリー作家として磨いた彫刻デザインの技術を、ガラス作品の制作にも用いたのです。
独創性の高いジュエリー作品
ラリックの制作したジュエリー作品の特長は、デザイン性の高さにあるといえるでしょう。特に1900年のパリ万博に出品された「蜻蛉の精」は、精巧な作りと独創的なデザインで大きな評判を呼びました。それまでジュエリー作品の価値は、使用されているジュエリーで決まるのが常識でしたが、ラリックの作品はそれを覆し、創造性の高さ・技術の高さもジュエリーの価値基準になりえるという前例を作ったのです。
自然美を追求したデザイン
ラリックは、ジュエリー作家時代にもガラス作家時代にも一貫して自然美をモチーフとしたデザインにこだわっていました。表現方法は当時盛り上がりを見せていたジャポニスムやボタニカルアートなどさまざまですが、彼の作品には自然の美しさを追求し、その意味を問う姿勢が垣間見えます。
宝石に匹敵する精巧なガラス作品
ガラス作家に転向してからも、ラリックは宝石のように美しいガラスパーツを用いたジュエリーや、ガラスに金や銀・エナメルなどの異素材を組み合わせた豪華な装飾品などを制作しました。また、当時普及し始めた電気とガラス製の照明器具をあわせて、きらびやかで美しい作品を生み出しました。1925年のパリ万博で出品されたガラスの噴水塔もそのひとつ。透明なガラスに光が透ける美しさに、当時の人々は魅了されたといいます。
ルネ・ラリック作品の評価とは?ジュエリーとガラスの巨匠
▲ルネ・ラリックの作品を育んだフランスのシャンパーニュ地方の原風景
ジュエリー作家として、ガラス作家として現在も高い評価を受けているルネ・ラリック。現在、ルネ・ラリックの作品はラリック社によって管理され、グラスや香水瓶・花瓶・照明器具・化粧品などのさまざまな作品が販売されています。作品によって評価は異なりますが、ルネ・ラリック本人が手掛けた作品ともなると、その価値は桁違いに高くなり買取価格が期待できます。
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ルネ・ラリックの作品・代表作を紹介
ルネ・ラリック ベース:BACCHANTES
「BACCHANTES(バコントゥ)」は、豊穣を司る神・バッカスの女神たちが歌い舞うシーンを描いた、ラリックのアイコン的位置づけの作品です。ラリックが得意とする凹凸がくっきりとしたデコラティブなベース(花瓶)で、女神たちの躍動感や優美さが表現されています。
ルネ・ラリック ニナリッチ:レールデュタン 香水瓶
ラリックといえば香水瓶を想像される方も多いのではないでしょうか。香水商のフランソワ・コティに依頼されたことをきっかけに香水瓶をつくったことから人気に火が付き、一世を風靡しました。現在もなお一流メゾンとコラボレーションをし、独特で魅力的な香水瓶を制作し続けています。
ルネ・ラリック アイリス文置時計
フロステッド加工されたアイリスがあしらわれた置時計です。「フロステッド」とは、クリスタルを再び磨き上げて艶を消す技法のことで、その様はラリックの代名詞でもあります。ガラス作品ではありながらも、やわらかさや温かみを感じる質感となっています。
香水瓶の代表作が多数。ルネ・ラリックの世界
ある時はジュエリーデザイナーとして、ある時はガラス工芸家として、アール・ヌーヴォーとアール・デコの時代で活躍したルネ・ラリック。その芸術的な作品は、今なお世界中で評価され愛され続けています。今回ご紹介した代表作の他、香水瓶などで有名な作品が多々あります。繊細なルネ・ラリックの世界に触れたい方は、ぜひ神奈川県にある箱根ラリック美術館へ一度いらしてみてはいかがでしょうか。
古美術 八光堂