日本画家・片岡球子作品の魅力は?大胆な構成と斬新な色使いで人気
片岡球子は昭和・平成に活躍した女流日本画家です。従来の日本画にはなかった大胆な構成と斬新な色使いの迫力ある表現を取り入れ、日本画の新境地を切り拓きました。初期の作品は不当な評価を受けたこともありましたが、文化勲章、文化功労者、勲三等瑞宝章に輝き、近年さらに評価を高めています。
この記事では、実家の束縛や保守的な画壇にも負けず、自らの絵を追求し絵筆を握り続けた片岡球子の103年の人生と作品の魅力をご紹介します。
迫力に満ちた作品を発表し続けた片岡球子。103年の生涯
▲片岡球子が育った「札幌」
片岡球子の生い立ち。画家と小学校教諭、二足の草鞋の生活
片岡球子は1905年1月5日、北海道札幌市に生まれました。 幼い頃より絵画に興味があったものの、当時は第一次大戦後で職業婦人(※)が増加した時期であったため、少女時代は医者を目指していました。
18歳の時、周囲の勧めもあり東京の女子美術学校に入学。日本画の吉村忠夫に師事し、絵画の道へ歩みを進めます。卒業後は横浜で小学校の教師として働きながら、画家としても活動をし、以降30年間は二足の草鞋で多忙な生活を送りました。美術院の展示や帝展に出品も落選を続け、「落選の神様」と揶揄された苦しい時期でした。
専門的な分野や新たな産業で誕生した分野の職業に就いた女性。代表的な職種は、教員・女医・看護婦・美容師・事務員・電話交換手など。
大胆すぎる画風に低評価も。逆風にも負けず絵筆を握る
24歳の時、日本美術院の院展で「枇杷」が入選しますが、日本美術院に反対していた師・吉村忠夫から破門されてしまいます。師の反対を受けつつも、その後は「学ぶ子等」「炬燵」「祈祷の僧」などの作品で入選に輝き、のちに日本画家の大家・横山大観(※)、小林古径(※)、前田青邨(※)らに認められていきます。
明治時代から昭和初期にかけて活躍した日本画家。近代日本画壇の巨匠で、「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる線描を抑えた独特の技法を確立。1973年に文化勲章受章。
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(※)小林古径
大正から昭和期にかけて活躍した日本画家。1950年に文化勲章受章、逝去後の1957年には従三位、勲二等旭日重光章が贈られた。(※)前田青邨
明治時代から昭和初期にかけて活躍した日本画家。晩年には、法隆寺金堂壁画の再現模写や高松塚古墳壁画の模写など文化財保護事業に携わった。1955年に文化勲章受章。
ただ、大胆すぎる構図と強く感情を揺さぶる激しい色使いから、画風は「ゲテモノ」と呼ばれることも。しかし小林古径から「今のあなたの絵はゲテモノに違いないが、ゲテモノと本物は紙一重の差だ。あなたの絵を絶対に変えてはいけない」と励まされ、絵筆を取り続けました。
定年後、絵に打ち込むことで才能が花開く。「富士」など多くの作品を手掛ける
片岡球子の絵画人生は、1955年に50歳で小学校教師を定年退職後から絵画一筋になり、より才能が花開きます。全国を渡り山々を描きはじめたのもこの頃で、代名詞ともいえる「富士山」の絵も50歳以降の作品です。61歳で歴史上の人物を描いたシリーズ「面構」を開始します。大津絵、凧絵などの民衆芸術、さらに浮世絵の表現を取り入れて象徴的かつ多様に描き出しました。
晩年は名誉ある賞を多く受賞します。1975年、70歳で日本芸術院恩賜賞を受賞。翌年には勲三等瑞宝章を受章。次いで1982年には日本芸術院会員に選ばれ、1986年には文化功労者として顕彰されました。1989年には文化勲章を受章。女性画家として上村松園(※)、小倉遊亀(おぐらゆき)(※)についで三人目の受章となりました。
(※)小倉遊亀
昭和期に活躍した日本画家。女性初の日本美術院所属画家となり、女性初の同院理事長となる。1980年文化勲章受章。
1993年、88歳の頃に「法隆寺金堂壁画模写」 全32面完成。この作品は愛知県立芸術大学教官・卒業生と共に20年の歳月をかけて作成された大作です。2005年、100歳を迎えて脳梗塞に倒れるも、療養に努めながら作品を発表し続けました。2008年1月16日、103歳で急性心不全のため神奈川県藤沢市内の病院で逝去。功績が讃えられ、叙従三位に叙せられました。
片岡球子の作品の特長。独創的で唯一無二の作風
▲片岡球子がモチーフにした富士山
代表作「富士山」。神秘的なエネルギーを感じるモチーフを多く描く
片岡球子は、山を多く描いた作家です。「富士山」を題材にした作品群や、各地を旅し描いた火山などからは、片岡球子が山から感じたであろう神秘的で強いエネルギーをそのまま感じることができます。
1966年から生涯に渡り手掛けた「面溝」シリーズも有名です。足利尊氏、豊臣秀吉、黒田官兵衛、雪舟、葛飾北斎、東洲斎写楽など歴史上の人物を大きく描いています。肖像画や同時代の風俗を参照しながら、「現代に生きていたらどんな行動をするか」という独自の解釈を加えてユニークに表現しています。
原色を多用し、迫力ある描線で日本画の新境地を拓く
フォルムを大きくとらえ、激しくデフォルメした造詣、鮮やかな色使いで画面いっぱいを埋め尽くすという片岡球子の画風は、一度見たら忘れられないほど。「見る人の息を詰まらせるほど迫力のある絵を描きたい」と若き日に抱負を語ったように、見る人に強烈な印象を与え、心を揺さぶります。
海や山などの自然をモチーフにしながらも原色を多用し、一見無秩序にも見えるものの、バランス感覚にすぐれているため不思議とまとまっているのが特長です。
60年代前半になると画材にボンドなども用いるようになり、さらに表現は迫力を増していきます。
色合い、構図ともに近代日本画の王道から外れた作風で、美しく描くことが全てではないと信じ、自身の信念に従った創作を続けました。やがて従来の日本画の概念を揺るがす力強い無二の表現を確立しました。
片岡球子の作品の評価は?名実ともに日本画壇に大きな足跡を残す
片岡球子の作品の中でも人気のものは、なんといっても富士山を描いた作品です。富士がシンプルに描かれているものはもちろん、裾野に花や木々がダイナミックに描かれているものも人気です。
晩年の作品の中には金箔・銀箔が画材として使われているものもあり、そういった作品はさらに高く評価されています。人気作家なので、リトグラフやシルクスクリーン、などの版画製品も多く流通していますが、原画であれば、数十万~数百万円を超える高値で取引される作品も。
片岡球子は1989年に文化勲章を受章し、その功績が讃えられました。女性日本画家として3人目で、上村松園、小倉遊亀と並び「日本三大女流画家」と称されるほど、日本画壇に多大な影響を及ぼしました。また、2015年には東京国立近代美術館にて「生誕110年 片岡球子展」が開催され人気を博すなど、今なお多くの人々に愛され続けています。
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片岡球子の作品の紹介
片岡球子 めでたき富士
「めでたき富士」は同タイトルで複数作品描かれているほど、片岡球子の中では富士=吉祥のモチーフとして生涯描き続けられました。ほかにも「めで多喜富士」でしたり「百寿のめでたき富士」など、タイトルにもいろいろなバリエーションがあります。
片岡球子 河口湖の赤富士
空を鮮やかなオレンジ一色で表現し、富士の藍色とのコントラストで富士山を際立たせています。富士の裾野に描かれた木々もどこかユーモラスでかわいらしく、生命を謳歌しているかのように賑やかに描かれています。
片岡球子 花咲く富士
白金(プラチナ)泥や純金泥で描かれた大変豪華な作品です。手前には咲き乱れる枝垂桜や純金の山々を描くことで、奥にそびえるシンプルな赤富士をより際立たせています。大胆にデフォルメされた自然からは満ち満ちたエネルギーを感じさせます。
「火山」「面影」各シリーズも人気。片岡球子の作品
片岡球子は、そのエネルギーに満ちた唯一無二の作風から、日本画檀に多大なる影響を及ぼしました。大胆な構図と原色を多用した色使いは、見る人の力を心の底から沸き上がらせ、強く感情を揺さぶることでしょう。
片岡球子は国内外で作品の評価も高く、買取査定の評価が高い作家の一人です。キズや汚れがついた作品であっても、作品によっては高値で取引されています。片岡球子の作品の買取を検討している方は、お気軽にご相談ください。
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