桃山〜江戸時代に活躍した総合芸術家「本阿弥光悦」。その作品・代表作とは
本阿弥光悦は、桃山時代から江戸時代初期にかけて、書道や陶芸・出版・工芸などさまざまな分野で活躍し、後世の日本文化に大きな影響を与えた芸術家です。俵屋宗達とともに「琳派」の祖として知られています。また、本阿弥光悦は現代でいうところのアートディレクターでもありました。
自らの作品を作る一方で、京都に芸術村を起こし、さまざまな分野の芸術家集団を集めて作品製作を指揮したのでした。
この記事では、そんな本阿弥光悦の生い立ちや作品の特長・評価などをご紹介します。
稀代のアートディレクター、本阿弥光悦の生い立ち
▲京都にある本阿弥光悦の屋敷跡
若き日の本阿弥光悦
本阿弥光悦は、1558年、京都で刀剣の鑑定や研磨を家業とする家に生まれました。刀剣の製作過程では、木工や金工・漆工・革細工・染色・貝細工などさまざまな工芸技術が注ぎこまれることから、本阿弥光悦は幼い頃からあらゆる工芸に対する興味と審美眼を培っていたと推察されます。また、和歌や書などにも興味を持ち、さまざまな教養を深く身につけていきました。その後、父親が分家するにあたり刀剣の家業を離れたのを機に、本阿弥光悦は芸術作品の制作をはじめました。
俵屋宗達との出会い、琳派の夜明け
本阿弥光悦といえば、「琳派(※)」の祖として知られています。そのきっかけとなったのが、俵屋宗達(※)との出会いでした。俵屋宗達は当時、世に出る機会に恵まれずにいました。そんな中、当時44歳だった本阿弥光悦は、俵屋宗達の才能を見出し、厳島神社の寺宝「平家納経」の修繕チームに俵屋宗達を迎え入れました。宗達は見事に期待にこたえる働きをし、表舞台への躍進の機を得たのでした。のちに俵屋宗達は、「本阿弥光悦と出会わなければ、私の人生は無駄なものに終わっていただろう」と回想しています。
50代になった本阿弥光悦は、俵屋宗達との合作に取り組み始めます。そのひとつが、「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」です。本阿弥光悦は、「寛永の三筆の一人」と称されるほどの書の達人でした。彼は宗達の描いた絵の上に、三十六歌仙の和歌を描いたのでした。
琳派の始まりは桃山時代。本阿弥光悦と俵屋宗達が始めたのが琳派です。その様式は、平安時代の伝統を重んじつつも、新しい様式美を含んでいたため、「桃山ルネサンス」などと呼ばれる。その後、琳派は、江戸時代中期になってから尾形光琳によって確立される。
(※)俵屋宗達
17世紀前半に活躍した京都の絵師として知られる。国宝「風神雷神図屏風」の作者であり、「舞楽図屏風」や、水墨画「蓮池水禽図」など、数々の名作を描いた。
日本初の芸術村「光悦村」
57歳のとき、本阿弥光悦は徳川家康から京都の最北部にある鷹ヶ峰に約9万坪の広大な土地を与えられました。そして、この地に芸術家を集めて芸術活動に専念するための芸術村、通称「光悦村」を築きました。
「光悦村」には、本阿弥光悦の呼びかけにより、金工や陶工・画家・蒔絵師・筆屋・紙屋・織物屋など、多数の芸術関係者が集結。村には56もの家屋敷が軒をつらね、昼夜創作に専念する環境が整えられました。
今日、本阿弥光悦がアートディレクターと呼ばれるのは、この村を組織したことが大きいと言えます。そして、本阿弥光悦は以後亡くなるまでの約20年にわたり、この地で創作三昧の日々を送りました。
本阿弥光悦の作品・代表作の特長は?マルチに才能を発揮した奇才
▲本阿弥光悦が過ごした京都の街並み
本阿弥光悦の作品は、書道や陶芸・出版・工芸まで多岐に渡ります。
書家としての本阿弥光悦
本阿弥光悦は、近衛信尹・松花堂昭乗とともに、江戸時代初期の「寛永の三筆」と称され、多くの名筆を残しています。その書流は、光悦流の祖と仰がれています。本阿弥光悦の書の特長は、書のうまさもさることながら、文字の配置の美しさや調和の美しさにあります。俵屋宗達との合作として「下絵古今集和歌巻」や「下絵三十六歌仙和歌巻」などの書道絵画も制作しました。これらの作品においても、本阿弥光悦の書の巧みさ・絵を活かしながら文字を入れるその手腕とセンスが遺憾無く発揮されています。
陶芸家としての本阿弥光悦
本阿弥光悦は、陶芸作品も多数制作しています。代表作には、国宝の白楽茶碗「不二山」や赤楽茶碗「乙御前」や「雪峯」、黒楽茶碗「雨雲」などがあります。また、装飾的な硯箱「船橋蒔絵硯箱」は、漆工芸の傑作として知られています。
本阿弥光悦の作品・代表作の評価とは?現代にも伝わる意匠
▲本阿弥光悦が芸術村を開いた鷹ヶ峰の風景
本阿弥光悦の作品はどれも非常に高い価値を持っています。その書物や陶芸品の芸術性の高さもさることながら、本阿弥光悦作品ということ自体に付加価値があるからです。
歴史も長く、もとより作品数が多いため贋作も数多ある作家でもありますが、真作であれば美術館級の作品にもなりえます。
骨董高額買取
本阿弥光悦の作品・代表作とは
本阿弥光悦・俵屋宗達 合作 「金銀刷檜絵下絵和歌巻断簡」
「断簡」とは、きれぎれになって残っている文書・書簡のことで、こちらは絵巻に書かれた古今和歌集の一節となります。 俵屋宗達の筆と伝えられている下絵には金泥や銀泥を贅沢に使って描かれており、またその絵の上には本阿弥光悦の書と伝えられる和歌一首が上書かれています。光悦は俵屋宗達の才能をいち早く見抜き、宗達と多くの合作を残しています。
本阿弥光悦・俵屋宗達 合作 「松下絵和歌巻断簡」
こちらも同じく断簡の一節になります。下絵に描かれた松は金泥で描かれていながらも決して書の邪魔をせず描かれています。そしてその松の上には、どの位置にどのくらいの文字の大きさ・太さで書けば美しいかの黄金比が考えぬかれた一首が書かれています。書が下絵を、下絵が書を、とお互いを引き立て見事な調和を生み出している合作です。
「茶碗」「刀」「書」などにも作品多数。本阿弥光悦の魅力
書道や陶芸・出版・工芸などさまざまな分野で活躍し、後世の日本文化に大きな影響を与えた芸術家・本阿弥光悦。「茶碗」「刀」「書」などでも多数の名作を遺しています。琳派の祖としても知られる彼の作品は、現在でも大変大きな価値を持っています。
古美術 八光堂