印象派の代表画家クロード・モネの作品・評価。代表作「睡蓮」で知られるモネの生涯
クロード・モネは、フランスの画家で印象派(※)創設者とされています。「印象派」という言葉は、1874年に公開されたモネの作品「印象・日の出」に由来しています。
モネは時間や季節による光の移り変わりを追い求め、「自然風景に対して自分が認識した感覚を表現する」という印象派哲学を生涯貫きました。日本では毎年のように各地で「モネ展」「印象派展」が開かれるなど、日本人が最も愛する画家のひとりです。
この記事では、そんなクロード・モネの人生と印象派設立の経緯、さらに今なお色褪せない作品の魅力についてご紹介します。
「印象派」は、19世紀後半のフランス・パリで起こった芸術運動。印象派の絵画の特徴は、明るい色彩を用いて、外の建物や人物などをふんわりと空気で包まれた“印象”として表現しているのが特徴。
印象派の創設者クロード・モネのプロフィール
▲モネが生まれ育ったパリの街並み
クロード・モネの生い立ち。苦しい下積み時代
クロード・モネは、1840年11月14日、パリのラフィット街にある裕福な家庭に生まれました。本名はオスカル=クロード・モネといいます。1845年、モネの家族はノルマンディーのル・アーヴル(※)へ移り住みます。美術学校に入学したモネは、早いうちから絵画の才能を開花させ、15歳の頃にはすでに町中で評判に。風景画家ブーダンから戸外での制作に誘われ、自然の中の光と色彩を探求する風景画の道へと進みます。
「ル・アーヴル」は、フランス北部の港湾都市。
1857年、美術の道を後押ししてくれた母の死後、悲しみに暮れるモネ。美術学校を退学し、叔母と一緒に住むことになります。叔母の励ましもあり、モネは再度美術の道を志します。
1859年パリに移住したモネは、1861年に兵役でアルジェリアへと赴任。兵役期間中はアルジェリアの鮮やかな光の風景や軍人の肖像画をスケッチしていました。
腸チフスを発症し除隊となった後、1862年に美術学校に入学したモネでしたが、アカデミックな美術教育に反発を覚えました。美術学校とは違う自由なシャルル・グレール(※)のアトリエに通い、ルノワールやピサロ、バジール、シスレーらの画家と出会い、交流を深めました。
フランスで活動したスイス人画家。アトリエを開き、後に有名になるモネやルノワール、シスレーなど若い画家を指導した。
1865年、サロン・ド・パリに初出品した「オンフルールのセーヌ河口」と「干潮のエーヴ岬」が2点とも入選。順調なスタートを切ったかに見えましたが、その後は苦しく、何度かサロン(※)に挑戦したものの結果は芳しくありませんでした。そのうえ保守的な芸術アカデミーから出品を拒否されるようになってしまいます。経済的苦境の中、自殺未遂に及ぶほど辛い時期を過ごしました。
官設展覧会のこと。1648年に設立されたフランス王立絵画彫刻アカデミー主催による展覧会を指す。
「印象派」の名前の由来となった作品を発表
1873年、モネはルノワール、ピサロ、シスレーらとともに「画家、彫刻家、版画家らの無名美術協会」を組織。1874年4月15日、のちに「第1回印象派展」と呼ばれる展示を開催します。画家30人、展示作品は合計165点ほどの大規模なものでした。モネはル・アーヴルの港の風景を描いた「印象・日の出」を展示します。
しかし見たままの景色を明るく鮮やかな色彩で描くモネらの作品は、写実的な絵画への評価の伝統が根強かった世間にはすぐには受け入れられませんでした。美術批評家のルイ・レロイは『ル・シャリヴァリ』(※)紙上にて、「印象派展」とモネらを揶揄する見出しで、展覧会を酷評。これがきっかけで逆に「印象主義」「印象派」という呼び名が世に知られ、当の画家たちも「印象派」という名称を使うようになりました。
1879年、モネを支えてくれた最愛の妻カミーユが亡くなります。この年に制作した「カミーユ・モネの死の床」は、妻の死に顔を描いたものでした。後年、この作品について「色の分析、使い方には人生における喜びと苦痛の両方がある。最愛の妻の死に顔を見て、自動反射的に光量の割合のようなものを設定し、色味を設定していることに気がついた」と話しています。
フランスの風刺新聞。
晩年は「睡蓮」をモチーフとした作品を次々と発表
モネは1880年代から、積みわらや睡蓮など、ひとつのモチーフをさまざまな天候、季節、光で描く連作を発表していきます。何度も同じ景色を記録し、光の変化と季節の移り変わりを描きました。代表作となるフランスの田舎の記録を目的とした風景画や海景画もこの時期に制作されたものです。
1893年に ジヴェルニー(※)に移住したモネは、「水の庭」と呼ばれる日本風の太鼓橋のある庭を造ります。池には様々な色の睡蓮を植え、数々の名作「睡蓮」を精力的に制作しました。
1926年12月5日、死の間際まで制作を続け、86年の生涯に幕を閉じました。
モネが晩年を過ごしたフランス北部の小さな村。この村の豊かな自然に魅せられたモネは、アトリエ兼邸宅を構え、一連の名作「睡蓮」を残した。
クロード・モネの作品の特徴
同じモチーフを何度も描き、光と季節の移り変わりを表現
クロード・モネの作品の特徴は、なんといっても光の描き方にあります。コンスタブル(※)やターナー(※)らの作品から、霧の風景や自然の移ろう光の描き方を研究しました。
自然の風景は時間によって変わっていきます。見たままを忠実に描くのではなく、光と影、風や香りなど、五感で感じる全ての瞬間を「印象」としてキャンバスに描き出しています。「積みわら」や「睡蓮」など、同じ風景を時間や視点を変えて何度も描くのは、変わる光を丁寧に写し取るために他なりません。
ジョン・コンスタブル。
イギリスの風景画家。それまでの伝統的な風景画様式から逸脱し、風景の中に己が感じる美しさを独自の感覚で表現した。(※)ターナー
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー。
イギリスのロマン主義画家。水彩風景画や海洋絵画において偉大な功績を残した。
瞬間の印象をとらえる早描きと筆触分割
モネは、刻々と移り変わる光をキャンバスに描き写すために、早描きをする必要がありました。輪郭がぼやけているのは、感覚を大切にし、筆を早く走らせるため。写実的に描くのではなく、光を大胆なタッチでとらえています。
早描きをするため、筆触分割という技法を使用しています。筆触分割とは、渇きの遅い油絵具を直接キャンバスの上に乗せていく手法です。パレットで混色をしないので、絵の具の鮮やかさはそのままで色は濁りません。
1840年代にチューブ入り絵具が開発されたことで、戸外での筆触分割による制作が可能になりました。
モネの技法の最大の特徴である大胆な「早描き」と「筆触分割」はこのようにして生まれました。
数十億円の値がつく世界的な画家クロード・モネ。 日本でも大人気
光を追い続けたクロード・モネは、「光の画家」とも呼ばれる世界的に有名な画家です。
そんなモネも、第1回印象派展開催当初は「小学生の落書きのようだ」と酷評を受けました。しかしその後の活動は絵画史に大きな功績を残し、ゴッホやセザンヌなども印象派から影響を受けています。
2008年にはロンドンで晩年に描かれた「睡蓮の池」が約87億円、2016年にはニューヨークにて「積みわら」が約89億円で落札されました。
日本では、モネはゴッホと並び人気の高い画家です。毎年のように各地で企画展が行われ、好評を博しています。国立西洋美術館(東京・上野)や、ポーラ美術館(神奈川県・箱根)など、複数の美術館に所蔵されています。
2021年10月2日より、企画展「クロード・モネ-風景への問いかけ」が、アーティゾン美術館(東京・京橋)にて開催予定です。
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クロード・モネの作品・代表作を紹介
「睡蓮」
1895年以降、晩年のモネは「睡蓮」がモチーフの作品を200点以上描き続けました。
1893年に自宅兼アトリエ横に「水の庭」と呼ばれる太鼓橋のある日本風の庭園を造り、その池に様々な色の睡蓮を植え、それをモチーフとしました。
第1シリーズと呼ばれる1900年までの作品では、太鼓橋と睡蓮そのものを光の変化と共に描いています。
1901年に池の拡張工事を行なった後、1900年代後半までに描かれた第2シリーズでは、太鼓橋は描かれず、睡蓮と水面に移る空や柳の影が主役になっていきました。
作品のサイズは次第に大きくなっていき、パリのオランジュリー美術館には長さ12メートルを超す連作が展示されています。
「草上の昼食」
「草上の昼食」は、1862年から1863年に作成されたマネの「草上の昼食」にインスピレーションを受けて、1866年に作成されました。森の中で紳士淑女が昼食を楽しんでいる姿を描いた作品です。
当初は縦4メートル、横6メートル以上の巨大な作品として製作していましたが、自身の手によって分割され、大作が出品されることはありませんでした。
下絵として描き始め、その後完成させた「草上の昼食(習作)」はモスクワにあるプーシキン美術館に所蔵されていて、本来描かれるはずだった完成図を推測することができます。
分割された中央部分と左部分は、現在、パリのオルセー美術館に収蔵されています。
「印象・日の出」
1874年に公開され、「印象派」の名前の由来となった作品です。1872年にフランス北西部ル・アーヴルで部屋の窓から見た港の景色を描いたもの。水平線を上部に引き、大きくとらえた水面に霧で霞む太陽の光が反射しています。大胆な厚塗りで描かれた海、濃くたちこめる朝霧で霞んだ港の遠景に、赤い太陽がアクセントとなっています。細部を簡略化しており、全体のバランスを重視して描かれています。
まとめ
クロード・モネは、印象派の代表画家として世界美術史に多大なる影響を及ぼしました。鮮やかな色使いで美しく表現された自然風景は、現在でも見る人の心を魅了し続けています。
クロード・モネは国内外での評価も高く、買取査定の評価が高い作家の一人です。キズや汚れがついた作品であっても、作品によっては高値で取引されています。クロード・モネの作品の買取を検討している方は、お気軽にご相談ください。
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