抽象画家・山口長男。日本の抽象画の先駆者として大正・昭和期に活躍
山口長男(やまぐちたけお)は、明治に生まれ、大正・昭和期に活躍した抽象画家。日本の抽象絵画の先駆者であり、世界からも高く評価されています。山口長男は韓国に生まれ育ち、日本とフランスで絵画を学びました。キュビズムの代表的作家・ピカソやブラックから影響を受けた抽象的表現が特徴です。精力的に制作を続けながら、武蔵野美術大学で教鞭を執り後進の育成にも励んだことで、作品・教育両方の面で日本美術界に多大なる功績を残しました。この記事では、そんな山口長男の生い立ちや作品の魅力についてご紹介していきます。
山口長男のプロフィール
▲山口長男が生まれたソウルの街並み
山口長男の生い立ち。韓国に生まれ19歳で日本へ
山口長男は1902年、京城(現在の韓国ソウル)に生まれました。父は鹿児島県出身で朝鮮に渡り一代で大地主となった人物です。1921年19歳までを韓国で過ごし、その後日本にやってきます。幼い頃から絵画に親しみ、絵画を学ぶことを決意していた山口は、東京にある本郷洋画研究所で岡田三郎助に教えを受けました。
1922年から1927年の卒業まで、東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科で長原孝太郎、小林万吾、和田英作らに師事。卒業と同年、同級生の荻須高徳とともに西洋画を学ぶため渡仏します。
フランスでピカソやブラックに親しむ。その後の作品に多大な影響
山口が1927年から1931年までフランスで滞在した経験は、後の作風に大きな影響を与えました。在仏中の洋画家・佐伯祐三と交流しながら、キュビズムの創始者であるピカソやブラックなどの抽象的な作風を学んでいきます。さらに彫刻家のザッキンのアトリエにも出入りをし、立体的な造形についても習得しました。
1931年、日本経由で京城に渡り、しばらくは京城から二科展に出品を行います。フランスで学んだ、自然を単純な形と色に還元し目で見た色ではなく心が感じる色を表現するという「フォービズム的」な抽象作品制作を始めました。
1945年、釜山近辺で補充兵として終戦を迎えます。1946年、京城を引き上げて上京。戦後は二科展の再結成にあたり会員として参加し、1962年まで二科展出品を続けました。
抽象画で新しい洋画の世界観を構築。世界でも高く評価
山口は後年、日本における新しい洋画の世界観を築き上げるために尽力していきます。
1953年、長谷川三郎を中心とした日本アブストラクト・アート・クラブの創立に参加します。1954年には日本アブストラクト・アート・クラブ会員としてニューヨークでのアメリカ抽象美術展に出品。55年、第3回パウロ・ビエンナーレ、56年には第28回ヴェネツィア・ビエンナーレの日本代表として出品。さらにグッゲンハイム賞美術展、チューリッヒ市立美術館など、国外へも積極的に作品を出展していきます。このように、山口のフォービズム的作品は世界に評価されていきました。
日本では、1954年に武蔵野美術大学教授に就任。抽象絵画の開拓者として後進の育成にも努めました。教育の傍ら、多くの作品を精力的に制作していきます。その活躍が評価され1961年芸術選奨文部大臣賞を受賞。1982年三雲祥之助の後任として、武蔵野美術学園3代目の学園長に就任しました。
独自の解釈で洋画を新たな段階へと引き上げ、日本の抽象絵画を牽引する存在として大きな活躍をした山口長男は、1983年4月27日、80歳で人生に幕を下ろしました。
山口長男の作品の特徴
▲山口長男が影響を受けたピカソのデッサン
色彩やデザインを極力抑えた抽象画
山口長男の作品は、抽象を題材にしています。典型的な作品の特徴としては、黒系の地に黄土色や赤茶色といった2色のみを使い、ペインティングナイフを使って大きな色面を配したものです。色彩やデザインを極力抑え、絵肌の質感であるマチエールで表現しています。額縁が無ければ無限に広がっていくような深さを感じさせ、見るたびに斬新な感覚を呼び起こすでしょう。特に山口が「性格色」と呼んでいた黄土色は、不思議と彼が生まれ育った大地を想起させます。目で見る色彩とは違う心が感じる色を表現するという「フォービズム的」な作品です。
フランス滞在中はパブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラックといったキュビズム画家を熱心に学びました。また抽象画としてはフランツ・クラインの作品に影響を受けています。
抽象絵画とは?
抽象画とは、具体的な対象を描き起こすことのない絵画の総称です。丸・三角・四角などの図形を配置した同じような絵でも、制作者の意図により具象画か抽象絵画かが決まります。例えば、四角をビル、丸をボールというように、制作者がイメージを抱いて描いた場合は具象絵画とされます。一方で具体的なモチーフを意識していない作品は抽象画となります。
日本での戦後の代表的な抽象画作家としては、元永定正・白髪一雄・津高和一が有名です。
山口長男の評価は?日本を代表する抽象画家として世界から高く評価
山口長男は日本を代表する抽象画の作家として、現在でも世界中から高く評価されています。
1954年にはアメリカ抽象美術展、1955年にサンパウロ・ビエンナーレ、1956年にヴェネツィア・ビエンナーレに日本代表として出展し、その名が知られるようになりました。
山口の作品は国内の主要な美術館で所蔵されているため、さまざまな場所で鑑賞することができます。代表作である「脈」は静岡県立美術館に、「作品(かたち)」は国立近代美術館に所蔵されています。また海外ではグッゲンハイム美術館やニューヨーク近代美術館などに収蔵されています。
このように国内外で高く評価をされている山口長男の作品ですが、買取市場ではどのような金額で取引されているのでしょうか。
まず、作品の種類やサイズ、取引される市場によって評価が大きく変わってきます。
モチーフとしては初期の風景画のような具象作品よりも代表作である抽象画のほうが高く評価され、高値がつきやすくなっています。油絵の抽象画であれば100万円以上の買取のことが多い一方で、具象画や作品数が多く出回っている水彩・パステル・水墨画などは数万円での買取のことが多いようです。
油絵の中でも、特に赤や黄色で描かれている作品や60年代以降の作品が人気です。油絵の場合は表面に落款がないため、油絵としては珍しく制作した証である共シールがついていることが多いのが特徴です。人気の画家のため、傷や汚れがあるものでも価値が高いものが含まれているかもしれません。山口長男の作品をお持ちの方は一度美術品買取専門店に査定に出してみることをおすすめします。
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山口長男の代表作
脈
1968年の作品です。正方形の合板に、黒と黄土色の絵具を厚く塗り重ねています。絵の具の段差により触覚を強く想起させます。静岡県立美術館に所蔵されています。
劃-赤
1968年の作品です。ペインティングナイフを使い、黒地に赤茶色の絵具を何度も塗り重ねています。
現在では島根県律美術館に所蔵されています。
作品(かたち)
山口は「作品」と題した黒地に黄土色の矩形を配置した絵画を複数制作しています。代表作は1961年に制作し、日本美術展に出展。現在は東京国立美術館の所蔵品となっています。
裂
1966年の作品です。黒地の板に黒みを帯びた赤土色を、ナイフペインティングで何度も塗り重ねています。簡潔な形と素朴なマチエールで親しみを感じることができる一方、重厚な存在感と空間の広がりを感じさせる作品となっています。
漂
抑
まとめ
日本の抽象画の代表と言われる山口長男。日本での抽象表現を一段階引き上げたとされ、世界的にも高く評価されています。幾何学的な矩形の組み合わせで表現している抽象画なのですが、どこか親しみを感じさせます。それは使用されている黄土色や赤土色の色合いと、絵具を塗り重ねたことで表現したマチエールが人々の心に懐かしさを感じさせるから。作品は現在でも多くの人々を魅了し続けています。国内外で高い評価を得る山口長男の作品は買取査定の評価が高い作家の一人です。キズや汚れがついた作品であっても、作品によっては高値で取引されています。山口長男の作品の買取を検討している方は、お気軽にご相談ください。
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