最後の江戸職人「柴田是真」蒔絵・漆絵・絵画とマルチな活躍で世界から評価
柴田是真(しばた・ぜしん)は、幕末から明治にかけて活躍した最後の江戸職人と呼ばれています。蒔絵・漆絵・絵画を手掛け、マルチな才能で絶大な人気を誇りました。絵画で培った構図力と漆工芸という技術を掛け合わせた驚異的な作風は、現在の日本美術界に繋がるためになくてはならない存在とされています。「ZESHIN」の作品は日本のみならず世界から評価されており、海外にもコレクターが多い作家の一人です。ジャンルの枠を超えた作品を作り続けた柴田是真は、どのような人物だったのでしょうか。この記事では、そんな柴田是真のおいたちと作品の魅力をご紹介していきます。
柴田是真のプロフィール
▲柴田是真が生まれた両国橋の街並み
柴田是真のおいたち。少年時代から多くの師に学ぶ
柴田是真は1807年2月7日、江戸両国橋2丁目に生まれました。宮大工の家系であり、父は浮世絵を学んでいたといいます。芸術を身近に感じられる環境で育ちました。11歳の頃、蒔絵師・古満寛哉(こまかんさい)の元に入門し、蒔絵を学び始めます。学ぶにつれて、図案に頼るのではなく自らオリジナリティのある下絵を描ける職人になりたいと志し、16歳の頃には四条派の画家・鈴木南嶺(すずきなんれい)に入門。少年時代より蒔絵と日本画を並行して学んでいました。20歳で蒔絵師として独立。当時人気が高まっていた浮世絵師・歌川国芳が是真の絵に感動し、弟子入りを申し込んだというエピソードも残っています。
画家としての評価を得るも、蒔絵師としては苦しい下積み時代
1830年、是真24歳の頃、四条派の絵についてさらに深く学ぶため、当時絵画が盛んだった京都へ移り住みます。京都では絵画だけではなく漢字も学び、他の絵師との交流を深め人脈を広げていたようです。その1年後に江戸に戻り、師匠・鈴木南嶺と再会した際に絵を見せると、その大変な進歩に感心され、それを機に「是真」を称するようになりました。画家としての評価は先に得たものの、蒔絵師としてはなかなか評価がされず、苦しい下積み時代を送っていました。
代表作発表。精力的な活動で世界から評価
1840年、是真が34歳のときに転機が訪れます。江戸の住吉明徳講(砂糖商人の組合)に委嘱され、王子稲荷神社に奉納するために描いた「鬼女図額面」が大変な評判を呼び一躍有名になりました。これ以降、是真は漆芸家・絵師として精力的に活動を行っていきます。
その後の是真の人気は日本に留まることはありませんでした。1873年のウィーン万国博覧会に「富士田子浦蒔絵額面」を出品し進歩賞牌を受賞すると、「ZESHIN」として海外にも名が知られることに。1876年のフィラデルフィア万国博覧会でも賞牌を受けるなど、国内外の博覧会・展覧会で多くの賞を受賞しました。1891年に85歳でこの世を去ります。幕末から明治の激動の時代の中で、常に学びを忘れず、芸術に生涯を捧げました。
柴田是真の作品の特徴
▲蒔絵のイメージ
下絵から蒔絵まで一人でこなし独自の技術を表現
柴田是真は、蒔絵師・絵師・漆芸家として一線で活躍した天才作家です。他の蒔絵師とは違い、下絵から蒔絵(※)まですべての工程を一人でこなすという驚くべき才能を発揮しました。
勉強熱心だった是真は、作品を手に取る人々の好みも研究しました。当時江戸に生まれた人々は、確かな技術や知識に基づいた作品でも、それをひけらかすことのない滋味のある良いものを好んでいました。そのため是真の作品全体からは「江戸らしさ」や「いき」を感じさせ、洒脱でウィットに富んだ画風が特長です。
新しいものへの探求心が強く、生涯ずっと研究・制作をし続けました。画家、職人の両方の顔を併せ持つ是真の作品は、綿密で繊細ながら、豪快さも残る独自の世界観を表現しています。
幻の技法の復元や新たな技法を作り出す
是真は1845年、幻とされていた技術「青海波塗」を復元します。青海波塗とは、薄く塗った漆が生乾きのうちに刷毛などで波文を描く技法のこと。元禄時代に活躍した絵師・青海勘七(せいかい・かんしち)が作り出して以来途絶えていた技術でした。漆絵(※)に関しては、蒔絵で学んだ技法を応用し、青銅塗・四分一塗・鉄錆塗・砂張塗・紫檀塗・墨形塗といったさまざまな変わり塗りの新技法を作り出しました。このように深い知識とジャンルの枠にとらわれない発想で多くのオリジナリティあふれる芸術品を制作し続けました。
蒔絵とは、漆工芸の代表的な装飾技法です。工芸品に漆で絵や模様を描き、漆が固まらないうちに金・銀などの金属から作られた蒔絵粉を付着させ装飾を行います。粉を蒔くことから「蒔絵」と呼ばれています。
(※)漆絵とは
漆絵とは、透漆(すきうるし)と呼ばれる透明度の高い漆に顔料を混ぜた色漆で描いた絵のこと。漆の特性上、色数は黒・朱・黄・緑・茶褐色の5色のみとなります。主に工芸品の装飾に用いられていましたが、紙や絹に色漆で描いた漆絵は是真が始めたとされています。
柴田是真の評価は?海外からも評価が高くあらゆる作品が高値で取引
柴田是真は、絵画と工芸の枠組みを超えて、第一人者として活躍しました。日本ではもとより海外でも高く評価されており、河鍋暁斎(※)と並び欧米で高い人気と知名度を誇る江戸・明治時代の作家のひとりです。
是真が世界で評価されたのは1873年にウィーンで開催された万国博覧会で「冨士田子浦蒔絵額面」を出品、名誉ある進歩賞牌を受賞したことがきっかけです。さらには1876年のフィラデルフィア万博、1877年の内国勧業博覧会、1878年のパリ万博など、国内外の博覧会で続けて高賞を受賞し、世界中に名が知れ渡っていきました。
是真の手掛けた工芸品・漆器・日本画・掛け軸などのあらゆる作品は現在、買取市場で高値で取り引されています。海外のコレクターも多く、特に日本文化を研究している方にとっては非常に貴重な品として扱われています。
そのため傷や汚れがあるものでも価値が高いものが含まれているかもしれません。柴田是真の作品をお持ちの方は、古美術八光堂までご相談ください。
河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)は幕末から明治にかけて活躍した絵師。狩野派でありながら浮世絵も多く手掛けました。躍動感あふれる筆使いで近年注目を集めている作家の一人です。暁斎の絵を1冊にまとめて出版した『絵本』は、葛飾北斎の『北斎漫画』と並び称されています。
日本画高額買取
掛軸高額買取
工芸品高額買取
柴田是真の代表作
蟷螂
枝を伝い渡るカマキリを描いた作品。素朴で何度も見たくなるような魅力にあふれた1作。
波文印籠
印籠に波の流れを描いています。紐の部分は亀の甲羅であり、印籠全体で海を表現しています。
鍾馗に鬼図
神様である鍾馗(しょうき)から逃げる鬼を描いた作品です。まるで鬼が手前に飛び出てくるかのような勢いがある構図で描かれています。
雪中鷲図
雪が積もる枝に鷲が留まる様子を描いた作品です。奥には狐が雪の中に潜り込む様子も描かれており、ユーモアを感じさせます。
額面著色鬼女図
是真が34歳の時に制作し、出世作となった作品。渡辺綱に腕を切り取られた鬼女が、綱の伯母に化けて腕を取り返した場面を描いたものです。王子稲荷神社に奉納されており、年2回公開されます。
富士田子浦蒔絵額
田子浦から見た富士山の景色を描いた絵画作品です。1873年のウィーン万国博覧会に出品し、高い評価を得ました。青海波塗や青銅塗など、是真が得意とした技法が用いられています。
柳に水車文重箱
重箱の側面に、青海波塗で川の流れや水車・柳・葛・桔梗・ススキなどの秋の草花を描いた作品です。替蓋には春の景色を描いたものもあり、使い分けて季節を表現することができます。
芋蒔絵重箱
5段の重箱の側面や蓋に、蒔絵を使って里芋や菊などが大胆に描かれた作品です。
軍鶏
色紙蒔絵呉服
瀑布図
まとめ
生涯学び続け、前へ進み続けた柴田是真。2021年には没後130年を迎えました。
蒔絵・漆絵・絵画と、ジャンルの枠組みを超えて活躍した彼が後の明治漆工界、日本美術界に及ぼした功績は多大なるものです。洒脱で江戸らしい柴田是真の作品は、これからも人々を魅了し続けていくでしょう。
国内外で高い評価を得る柴田是真の作品は買取査定の評価が高い作家の一人です。キズや汚れがついた作品であっても、作品によっては高値で取引されています。柴田是真の作品の買取を検討している方は、お気軽にご相談ください。
日本画高額買取
掛軸高額買取
工芸品高額買取