ドーム ショットグラスを買取させて頂きました!
ドームナンシー ドーム兄弟とガレ ナンシー派の巨匠と肩を並べるまで
ドームナンシーという言葉を聞いた事がありますか?
今もアンティーク好きな方々には人気の高いフランスのアール・ヌーヴォー装飾を用いた多くの作品群。
そんな中でも当時人気があったガレに挑み、同等の人気を手に入れ、ナンシー派の巨匠と肩を並べるまでになった彼等が作り出した、素晴らしきガラス作品についてご紹介致します。
ドームの系譜 ドームナンシーの始まり。
兄オーギュスト(1853年 – 1909年)、弟アントナン(1864年 – 1930年)の2人は、ドームの創業者である父ジャン・ドームの子供として生まれます。
一家は、1871年に起きた普仏戦争での敗北で故郷がドイツの手に渡った際、ナンシー地方へと逃げのび移住しました。
その後、出資したガラス工場の経営を任されるようになり、「ラ・ヴェルリ・ド・ナンシー」と工場名を改めて操業を開始。
ドームの系譜が始まりを迎えます。
オーギュストが1878年から経営に参画、その際に社名を「ドーム・エ・フィス(ドーム親子)」と変更。
父がなくなり会社を継いだ兄を助ける形で弟アントナンが1887年に入社します。
初めは、日用品としてのガラス製品を生産していましたが、1889年のガレの成功に刺激され、ガラス工房を開設。
高級グラスセットの製造を始めます。
これが、ドームナンシーの始まりとなるのです。
ドームナンシーが世界的評価を受けるまで
ガレに刺激を受けガラス工房を開設したドーム兄弟でありましたが、手本にしていたのは刺激を受けたガレの作品であったため、軌道に乗り始めた頃には民衆からガレのモノマネだという評価をされるようになります。この評価を払拭させるため、独自の研究を始めたドーム兄弟。ガレから学んだ被せガラスに新技法を加えた作品は高評価を集め、1900年の第五回パリ万国博覧会ガラス部門でグランプリを受賞、ガレのモノマネから完全に脱却し、ガレと並ぶ二大工房へと名を轟かせていくのでした。
ドームナンシー派巨匠とその技術
1900年のパリ万国博覧会で大賞を受賞したドーム兄弟。弟アントナンは、レジオン・ドヌール勲章が授与されました。その翌年にはエコール・ド・ナンシー(ナンシー派)が結成され、ガレが会長、アントナンは副会長に推薦されました。
ガレから脱却するために作成してきた技術が評価を受け、一気に花を開きました。
ドームが認められた技術は2つあります。
・アンテルカレール ガラス素地に絵模様を描き、更にガラスを被せる技法(1899年に特許を取得)
・ヴィトリフィカシオン 粉末状にした色ガラスをまぶし、再加熱して素地になじませる技法
この技術とあくなき向上心でナンシー派の巨匠へと昇りつめ、ガレと双璧をなす存在となったのです。
さいごに
巨匠と昇りつめても、新しい物をと求め続け、外からデザイナーや画家などを招いて作品を作り続けました。そんなドーム兄弟が作った作品は風景や植物を写実的に表現した品が多いです。
色合いを増やし、輪郭を少しぼかしたドームナンシーは幻想的なガラス作品として、現在も、そしてこれからも私達を楽しませてくれる事でしょう。私達八光堂は、ドーム作品を数多く取扱いしております。是非ご売却をお考えの際は八光堂にお任せ下さいませ。