香木を買取致しました!
「香木」について
○はじめに
推古天皇三年(595)春、香木が淡路島に漂着しました。
島民が焚いてみたところ得も言われぬ芳香を発したので、朝廷に献上したと伝えられています。
「推古天皇の三年夏四月、沈水(香)淡路島に漂ひ着けり。其大き一囲、島人沈水を知らず、薪に交て竈に焼く、其煙気遠く薫る、則異なりとして献る。」(日本書紀より抜粋)
日本人は、古来より香木とは深い関わりをもってきました。
○香木とは
香木は簡単にいうと3種類に分けられます。 沈香(じんこう)、伽羅(きゃら)、白檀(びゃくだん)で、人気が高いのは沈香と伽羅です。
沈香は正式名称「沈香香木」といい、水に沈むことに由来しています。
一般的に木材は水に浮きますが、沈香の場合は樹脂(油分)をしっかりと含んでおり重たいため沈みます。
その沈香の中でも最高級といわれるのが「伽羅」であり、一般的に沈香の香りは「辛く」、伽羅は「甘い」と分類されます。
沈香は自然界の産物です。「風のなる木」(ベトナム)に自然に傷ができたとき、それを保護するために樹脂を分泌します。 ほとんどの木は数十年で倒木して、沈香と呼ばれている物になりますが、ごく稀に倒木せずに樹脂を数百年出し続けたものがあります。その木がやがて倒木し、土の中に埋まって更に数百年経過したものが伽羅と呼ばれるものになるそうです。伽羅の香りは現代の科学技術においても、再現は不可能であると言われています
○香木と武将
香木と武将とは密接な関係がありました。
奈良県正倉院にある香木「蘭奢侍(らんじゃたい)」は足利義満、足利義教、足利義政、土岐頼武、織田信長、明治天皇らによって切り取られています。
これはある意味、時の権力者のみにしか許されず、権力の象徴になりました。
また徳川家康は珍しい香木をコレクションしていたという記録や志野流学んだ千利休がその作法を茶道に取り入れたという話もあります。
特に、近江の豪族で足利尊氏の守護大名として活躍した佐々木道誉(ささきどうよ)は、別名「婆紗羅大名」と呼ばれました。
その道誉が持っていた香木がのちの香道への道になります。武将は出陣の際、兜に香木を炊いて心を落ち着かせました
○香道とは
香道には御家流(おいえりゅう)と志野流という2つの流派があります。
佐々木道誉から香木177種を室町幕府第8代将軍足利義政が受け継ぎ、義政号令の下、三条西実隆と志野宗信によって一定のルールや作法が確立されました。
これにより平安時代の続く遊戯的なものから、立派な「芸道」へと変化したのです。
香木を「六国五味(りっこくごみ)」として分類しました。
六国(樹脂の質と量):伽羅、羅国(らこく)、真南賀(まなか)、真南蛮(まなばん)、寸門多羅(すもたら)、佐曽羅(さそら)
五味(味わい):甘(かん)、酸(さん)、辛(しん)、鹹(かん)、苦(く)
御家流が公家、志野流が武家の流派になります。
公家は「自然の心が美しいかたちを伴う」と考え香りを楽しむことに主眼を置いており、武家は「美しき心はまず美しいかたちから」という考え方から精神修養に重点を置く武士の流派だからだと言われています。香道では、香りを嗅ぐことを「聞く」といいます
香りに問いかけて、その答えを自分自身の心に聞くからです
○まとめ
もともと限られた資源の中で行なう芸道なので茶道や華道よりも知名度は低いですが、香水文化のあるヨーロッパなど海外からも少しずつ注目されてきています。
香木は天然資源なので人工的に増やすことができません。
その分希少価値が高く、かつ現在、金の資産価値が上昇している中、実は香木も金と同じくらい価値があるとして市場での人気は高くなっています。
さいごに
香木は現在においても非常に高値でやりとりをされている商品です。上記で述べた通り、種類によっても単価が異なります。少しでも気になる香木がございましたらお気軽に八光堂までお問合せ下さいませ。