竹内栖鳳の掛軸を買取致しました!
描くために世界を駆けた竹内栖鳳
京都店がオープンして早二ヶ月が経ちました。
錦小路通りに面し、大丸京都店が目の前という当店の立地ならではですね。
日々たくさんの買物客と観光客が通りを行き交っています。
9月とはいえ、残暑が続いております。お出かけ中も暑さ対策をお忘れなく。
どうぞお身体ご自愛くださいませ。
さて今回は、幕末から大正にかけてと激動する時代に世界に目を向けた日本画家、「竹内栖鳳」について書きます。
京都生まれの日本画家で生まれは元治元年(1864年)11月22日。
四年後には明治元年を迎えるといった幕末に、現在の二条城にほど近いところで、料亭を営む父の一人息子として誕生しました。
幕末から明治維新、そして大正時代へと、まさに現代の礎となるこの時代に竹内栖鳳は、目まぐるしい社会発展を背景に、世界をまたにかけ描くことにのみ心血を注ぎました。
「動物を描けば、その匂いまで描くといわれた達人」とまでいわれた画家、竹内栖鳳はとにかくすごいです!
栖鳳の絵から思うに和漢の美術を軸にした生粋の日本画家だと思っていましたが、絵に対する情熱を感じるのが、やはり明治三十三年(1900年)37歳のときに出発した西洋美術行脚です。
フランス、イギリス、オランダ、ベルギー、ドイツ、オーストリア、イタリア等の美術館を見学し、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、レンブラント、ミレー等に感銘を受けたといわれています。
当時日本の時代背景を考慮するに世間的にも社会的にも大事だったのではないでしょうか。
ただ栖鳳にいわせれば、眼が醒めればそこに厖大な美術館があり多数の大作や名作が陳列されているのだから疲労など感じる暇がなかったとのことです。
ロンドン動物園では初めてライオンを眼の前にし、連日写生に通ったともいわれ、その後もしきりにライオンを描きました。
また大正九年(1920年)57歳のときには中国旅行にも出かけています。
長年中国美術に思いをはせていた栖鳳は中国の山や川の風景に絵の題材を探し、絵画や彫刻、工芸品などを鑑賞し、また揚子江や北京などいたるところで写生をしました。
これほど絵に対する強い思いと強い意志を持つ栖鳳ならではの、それを顕著に表した言葉があります。
「銭は面白くない。絵にもならんし。」
自分の手は絵を描くためのもの。
時たま銭にさわってしまうことがあるとすぐに手拭いでふき、重量物を動かすと手が震えるのでさわらなかった。
そんな栖鳳の手は生涯色白くきれいだったといわれています。
この言葉だけでは非情な人物にも思えてしまいそうですが、気ままな面もあるものの、描くことに真剣であったということで家族や絵の師、弟子にはとても思慮深く情の深い人物でした。
私の好きな「班猫」。
猫好きならぜひ待ち受けに!
絵の猫の描き方、捉え方は竹内栖鳳の人柄がでているような・・・
さいごに
八光堂は栖鳳作品も高価買取中です。
ご売却をお考えの方は、ぜひ八光堂・京都店をご検討ください。
もちろん査定のみでも!
ご来店、ご連絡をお待ちしております。