野間仁根~あるがままに~
野間仁根について
今日26日は、東京マラソンですね!
天気もいいし、寒すぎずにまさにマラソン日和ですね。
銀座本店は、マラソンルート近くの晴海通りから一本通りを入ったソニー通りという路地にあるのですが、その店舗にまで熱が伝わってきます。
ランナーの皆さん、がんばって完走してくださいね!
白熱している東京マラソンを尻目に、私もお仕事がんばります!
1901年、愛媛県生まれの昭和期に活躍した洋画家・野間仁根。
東京美術学校出身の彼ですが、在学中から個展を開催するなど、若い頃から精力的に活動し、卒業後も数々の賞を受賞しています。
今なお人気が高い作品ですが、今回はそんな野間仁根の世界に迫っていきたいと思います。
野間仁根の作風
主に花や風景を得意とする画家で、その鮮やかできらびやかな色使いや自由な画風は絵を見た瞬間に“野間仁根だ”と知らしめるほどの個性があります。
野間仁根の発言で興味深い言葉があります。
「面白くもない写実画」
と、写実を肯定せず
「あるがままに、自由に」
をモットーとしていました。
その姿勢は作風にも表れており、生涯その考えを貫いているように見えます。
野間仁根と熊谷守一
そんな個性派な野間仁根に大きく影響を与えた人物・・・それが明治期から昭和期にかけて活躍した画家・熊谷守一です。
熊谷守一とは、派手で強烈な色彩と強いタッチで描くフォービスムと位置づけられ、晩年は抽象画をよく描いた日本を代表する画家です。
熊谷守一の作品・作風を見ると、野間仁根に影響を与えたということが納得できるような気がします。野間仁根にとって東京美術学校の先輩でもあり、彼が所属していた二科会でも先輩にあたります。
熊谷守一に指導受けていたとされる野間仁根は、熊谷のことをとても尊敬し、その思いは崇拝にすら近かったそうです。
もしかすると、野間仁根の「あるがままに、自由に」という考えは、熊谷との出会いから生まれたものかもしれません。
野間仁根と故郷
晩年は生まれ育った瀬戸内海の風景をよく描きました。
直接的に風景も見ず、下絵も描かずに一気に何枚も描き上げたと言われていますが、私はとても彼らしい描き方だなと感じます。
野間仁根が描いた風景画の大半が故郷を描いたものですが、晩年になっても相変わらず力強いタッチと色彩によって表現されています。
そんな野間仁根の故郷である愛媛県には、愛媛県美術館にて今でも多くの作品が所蔵・展示されています。愛媛県の原風景が鮮やかな色彩で、今なお輝いています。
野間仁根の言葉の中で、私が特に響いた言葉を最後に紹介します。
「蚕が絹糸を吐くように自然に次々と生まれてくる絵が本物だよ」
さいごに