日本の海外貿易の道を開いたオールドノリタケ
オールドノリタケについて
『ノリタケ』といえば皆さまご存知の通り、世界で名を馳せる日本の高級食器ブランドとして有名ですね。
現在のノリタケカンパニーの前身である「森村組」「日本陶器合名会社」時代(19世紀末~第二次世界大戦前後)に作られた製品は“オールドノリタケ”として世界中に熱心なコレクターがいます。
オールドノリタケが作られたちょうどこの時期は、内向きだった日本が世界に目を向け、外国との貿易競争に乗り出した時期になります。
オールドノリタケも海外貿易用、特にアメリカ向け輸出品として製作されていました。
今回は高い技術で日本の海外貿易の黎明期を牽引したオールドノリタケについてご紹介します。
ノリタケの歴史
ノリタケの歴史は江戸で武具商を営んでいた六代目森村市佐衛門から始まります。
当時はフランスから始まった“ジャポニズム”がアメリカでも人気になっていました。そこに目をつけた森村は、貿易会社「森村組」を設立し、ニューヨークへ弟を派遣、日本雑貨販売店「MORIMURA BROTHERS」を開店します。
日本らしいデザインの陶磁器などを販売し、すぐに大人気となりますが、更なる事業拡大のためにアメリカの生活に根付いた欧米的な日常用の食器、テーブルウェアの製造・販売に挑みます。
生地の改良などの課題があり完成まで約10年もの期間がかかりましたが、 販売を始めた“日本製西洋食器・テーブルウェア”はたちまち人気商品となり、年々製造量も増えていきました。
その後も日本初のボーンチャイナの製造販売を開始し、事業はますます拡大していき、現在のノリタケに続いていきます。
ノリタケを支える職人たち
なぜ当時、日本の新興企業の製品がアメリカで受け入れられたのでしょうか。
オールドノリタケ成功の鍵は、当時の日本の職人を取り巻く環境と、顧客のニーズを掴み流行をうまく製品に取り入れたことにありました。
日本では長い間、腕の良い陶工達は藩のお抱え職人として窯元ごと保護されていましたが、明治時代になると廃藩置県によって藩の保護と職を失った職人が数多くでてきます。
こうした職人を雇い入れたノリタケは、新興企業ながら高品質の製品を生み出します。特に日本の伝統技術・手法を取り入れて施された絵付けは当時から高い評価を得ました。
なかでも『盛り上げ』という、粘土と水を混ぜた「泥しょう」を生クリームのデコレーションのように絞り出して立体的に表現する技法は、オールドノリタケの代名詞ともいえます。
高い技術が必要な難しい技法のため、すでに「盛り上げ」を習得している熟練者を雇用できたことはとてもラッキーでした。
ノリタケのデザイン
オールドノリタケは“アール・ヌーボー”と“アール・デコ”という様式に大別されますが、どちらもその時代に大流行した様式です。
ノリタケではデザイナーをアメリカにおき、常に流行のデザインを取り入れた製品を作り続けました。日本で製造した商品を遠く海を超えたアメリカで販売するには何よりもスピード勝負だったのでしょう。これから流行するであろうデザインをすばやく製品に取り入れていきました。
当時の日本の職人の賃金は安く、高品質で流行のデザインの製品が安く手に入るとノリタケ製品は大評判になり、外貨獲得の一大事業へと成長を遂げました。
さいごに