白髪一雄~強さの理由~
白髪一雄について
昨年2016年に、「タジカラ男」という作品を巡ってある論争が巻き起こったのをご存知でしょうか?
そもそもは1989年に兵庫県加西市が、建設を予定していた美術館での展示の為に130万円で「タジカラ男」を購入したのですが、その計画は一転白紙となりました。
作品を所有している加西市内では、「作品の劣化が進む前に、その価値が分かる人の元にあるほうがいい」という意見と、「このまま所有して、どこか市内の別の公共施設で展示する方がいい」という意見が対立し、熱い議論が交わされた結果、手放すことへの賛成派が反対派を僅差で上回り、可決されました。
アクション・ペインター
白髪一雄の作品を見る時、あなたはどんなことを感じるでしょうか?
曲線が織り成す力強いその作品に、私は「迷いを断ち切った強さ」をいつも感じます。
天井からぶら下げたロープにつかまり、裸足で大きなキャンバスに絵の具をダイナミックに滑らせ作品を描く・・・そんな描き方から「アクション・ペインター」と呼ばれた彼は、浮世絵以外での日本の美術作品が海外において初めて評価された作家としても有名です。
それを象徴するかのように、2015年にはパリのオークションにて、抽象画2点が合わせて約600万ドル(日本円で約7億2000万円)で落札されています。
技法の確立
1924年兵庫県尼崎市西本町に生まれた白髪一雄は、中学時代に絵画部へと所属したことがきっかけで、画家を目指すことになります。
絵画の専門学校を卒業後に、油絵へと転向し、1954年前衛画家の吉原治良が中心となり兵庫県芦屋市で結成された具体美術協会に参加します。
「人真似はせず、今までに無かったものを作る」という吉原の指導の下、これまでの近代美術の枠にとらわれず、全く新しい表現法を生み出そうと活動しました。
ただ、白髪一雄自身は、そこへ参加する前から独自の抽象表現を生み出していました。それこそが足で作品を描く「フット・ペインティング」です。
身体を動かすことにより、肉体を解放させ、見る者それぞれの感じ方を追求する・・・そこにある過剰なまでの力強さは、第二次世界大戦後の日本における作家たちの心情をも表していたのでしょう。
“迷い”の断ち切り
1972年、具体美術協会は解散し、白髪一雄は新たなアプローチで作品を発表していきましたが、再び「アクション・ペインター」として、70歳を超えてもなお精力的に活動しました。
「迷い」は、彼にはもう無かったのです。
歳を重ねてもなお活動を続ける彼は、まるで“これが自分たちの表現方法だ”、と叫んでいるようにも感じられます。
あのスターバックスの会長、ハワード・シュルツのオフィス・ルームには、白髪一雄の作品が飾られているそうです。
世界中の有名画家と並び、学校の教科書にも載る白髪一雄は、2008年惜しまれつつも83年の生涯を終えたのでした。
ですが、彼のその魂はまだキャンバスの数々に残されているのです。
さいごに