松尾敏男~花に魅せられた画家~
松尾敏男について
長崎県長崎市に生まれ、現代を代表する日本画家・松尾敏男。
90歳にて生涯を終えるまで数々の名作をこの世に残しました。
晩年の頃にはアトリエにベッドまで持ち込み、多くの時間を絵に費やしました。そのエピソードを聞くと、最後の最後まで絵を描き続け、本当に絵を描くことが好きだったんだなと感じます。
今回はそんな松尾敏男の世界を覗いてみたいと思います。
花の画家
学生時代は体操選手だったという松尾敏男ですが、絵においては若い頃から才能を発揮します。
前田青邨や安田靫彦などと同時期に活躍した堅山南風に師事していたと言われています。
23歳のとき、院展(日本美術院展覧会)にて「埴輪」が初入選し、その後も数多くの賞を受賞。のちに多摩美術大学の教授も務めました。
彼は「花の松尾敏男」と言われるくらい花をテーマにした絵をよく描きました。また花の中でも特に牡丹の絵をよく描き、高い評価を受けています。
時代の変遷
近年の日本画の需要減少には住宅事情が関係しているのではないかと言われています。東京には高層マンションが次々と建てられ、和室を持たない洋室のみの間取りが多いのが事実です。そういった時代の変遷と共に、日本画をはじめとする和物の美術品の需要自体が減少傾向にあると考えられます。
また、インテリア絵画などを始めとするコピーも技術が進歩して一般的になっていますが、松尾敏男は生前そういった風潮を嘆いていたそうです。彼は自分の写生を元に絵を描いていきますが、コピーや写真といったデータを見返せば写生を怠ったとしても絵が描けてしまいます。
「自分が見たとおり」にと松尾敏男はよく言っていたそうですが、花を描くにしても誰よりも観察し、花の持つ優雅さや美しさを表現していました。便利なものに頼らない、地道な努力を怠らない、そんな職人気質の画家のように感じます。
さいごに
松尾敏男はあともう少し描き込みをしたい、と思うところで筆を止めるそうです。
その方が納得のいく仕上がりになることが多いでそうです。職人気質だけではなく、彼のアーティストとしての感性も感じられます。
90歳で没し、お別れの会が開かれたそうですが、遺影の後ろには特に好んで描いた華麗な牡丹の絵が飾られていました。
彼の絵はこの先も長く人々に愛されていくのではないかと思います。
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