島岡達三~父の組紐との共作・縄文象嵌~
島岡達三について
名古屋本店鑑定士の大橋です。
だんだんと日中も夏日を越える日が増えてまいりましたね。
5月の時点で夏日なんて、これがあと2ヵ月後どうなってしまうのかと考えると・・・・恐ろしいものです。
ただ、夜は日中とは打って変わって冷え込みますので、寒暖の差に体調崩されないようにしてくださいね。
さて、今回は買取させていただいた島岡達三についてご紹介させていただきます。
陶芸家への道
島岡達三は東京生まれの陶芸家です。
組紐師の父を持つことから、後々の作風に多大な影響を受けることとなります。
18歳の時に東京目黒にある日本民芸館で目の当たりにした「河井寛次郎」「濱田庄司」の作品に感銘を受けて、陶芸の世界へ進むことを心に決めます。
そしてその後、濱田庄司のもとを訪ね、入門願いを許してもらったものの日本が第二次世界大戦に突入してしまい、島岡達三もその翌年ビルマへ出兵することになります。
ですが、その際も陶芸家への志は強く、懐にいつも志野茶碗を入れていたとのことです。
終戦を迎え生還した後、念願の濱田庄司に師事し、ようやく陶芸に打ち込むことができるようになりました。
独自の技法・縄文象嵌
憧れの師のもと作陶をはじめる島岡達三ですが、師である濱田庄司の作品と似たような作品ばかりを作陶していました。
そこで見かねた濱田庄司が「自分独自のものを考案して作れ」と諭し、そこで生まれたのが身近にあった父の作る絹の組紐でした。組紐からアイデアを受け、それを転がしてできる縄目に白土を埋め込んだ「縄文象嵌」を作りだしました。
縄文象嵌技法を用いて作られた美しい中にも力強い作品は、高い評価を得て1996年(平成8年)に重要無形文化財保持者(民芸陶器・縄文象嵌)にも認定されました。
子供の頃から見ていた組紐師の父の背中を追い求め、それに気づかせてくれた師の濱田庄司との出会い・・・すべてが交わったとき、人間国宝・島岡達三の縄文象嵌が完成したのでした。
そしてその後、1999年(平成11年)には 勲四等旭日小綬章を受章し、2007年(平成19年)12月11日に永眠、享年88歳でした。
現在、若者にも人気の益子焼。
加守田章二、河井寛次郎、濱田庄司、島岡達三・・・などをはじめ、多くの陶芸家を育てた栃木県芳賀郡益子町では、毎年2回の益子陶器市を開催しており、多くの人々で賑わい今なお魅了しています。
私も是非一度は足を運んでみたいと思っております。
さいごに