景徳鎮~中国磁器の最高峰~
皆さん、こんにちは。
最近は、日中が暑く朝晩が少し肌寒くなったりと気温の変化が激しい日々が続いていますね。
私は油断して薄着で寝ていたら寒くて目が覚めて、風邪を引いてもおかしくないような過ごし方をしています。
皆様も夜寝るときは油断しないようお気をつけください。
景徳鎮(けいとくちん)
さて、今回お話しようと思っているのは、中国美術といえば必ず聞くこの単語「景徳鎮」についてお話しようと思います。
景徳鎮のはじまり
「景徳鎮」、中国美術を語る上では、絶対に外せないものですね。
そもそも、景徳鎮はいつ頃からそのように呼ばれるようになったかご存知でしょうか。
今のように景徳鎮と呼ばれるようになったのは、宋時代といわれています。その前からも磁器が盛んに作られていた土地ではありますが、1004年にその地の地名として年号であった「景徳」という名が授けられたのがはじまりとされています。
良質な土や水を得ることができたため、どんどんと発展し世界的にも名の通る陶磁器の生産地へとなっていきました。
景徳鎮の特徴
景徳鎮でよく見かけるのは白磁にコバルトで絵付けをされている青花磁器というものかと思います。
この青花磁器は歴史的な価値も非常に高く、当時作られたものは海外のオークションでは何十億という金額で落札されることもあります。
それほどまでに、緻密に繊細に表現された絵と良質な土と腕の良い職人によって作られた美術品的にも非常にすばらしいものだということがわかりますね。
それ以外にも、全面にコバルトがかけられている瑠璃釉磁器や鮮やかな紅色が特徴な紅釉磁器というものも作られていました。
これらの磁器は海外に多く輸出されていました。
景徳鎮の現在
景徳鎮は過去のものだと思われている方も多いでしょうが、今も景徳鎮では磁器が生産されています。
昔は主に、宮廷用のものを多く作っていましたが、時代が進むにつれて中国国内のみならず、海外へ輸出や一般の市場向けの窯にて日用品としての陶磁器も作られるようになりました。
現在は主に、現代作家の作品や倣古と呼ばれる昔の作品を現代に蘇らせたものを生産しています。
さいごに
もしかしたら、それが本当に昔の宋の頃に作られたものかも。。。
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