木内克~自分の道を~
挑戦と結果
1892年、茨城県に生まれた木内克は、20歳のときに上京しました。彫刻家・日本画家の海野美盛の元で彫刻を学び、1914年に彫刻家・朝倉文夫の彫塑塾へ入門しました。
1921年にはロンドン、そして1922年にはパリへと渡り、あのオーギュスト・ロダンのアシスタントもした彫刻家・アントワール・ブールデルからの指導を受けました。
そして、今ではビッグネームである藤田嗣治、福沢一郎らと交流をしながら研究を続け、その時期にテラコッタの技法を修得しました。
15年間に及んだフランス滞在からの帰国後、そのオリジナリティ溢れるテラコッタによる表現が新鮮だと評判を呼び、数々の賞を受賞。
1972年には記録映画「土くれ」が製作されました。
こだわりと自信
その半生が映画にもなった木内克ですが、彼が何故テラコッタにこだわったかという理由についてはこう語っています。
「作家はその芸術表現を生かすのに最適の材質を選び、作品を完成させるべきだと思う。私は土に親しみがあるのでテラコッタを選んだ。
テラコッタのよい点は、自分の手で生み出し、人手を煩わさずに最終の仕上げまでが出来て、しかも時間的にも早く仕上げられることだ」
つまり、彼にとって最も自分の能力を活かせる技法こそがテラコッタだということです。
また、こうも言っています。
「ひと握りの粘土をよく乾かし、それを焼けば陶を得る。これがすなわちテラコッタである。
語源はラテン語で、土焼きを意味するが、日本ではテラコッタという名称が曖昧に使われているように思われる」
テラコッタへの強いこだわりと、大きな自信が感じられますね。
猫と宝石
そんな木内克ですが、小さな頃から動物が大好きで、特に猫は8匹くらい飼っていたそうです。中には彼の作品のモデルとなった猫もいます。
「彫刻というものは宝石を入れる箱であると思っている」
という言葉も残したように、大好きな猫という宝石を、いつまでも自分の作品の中に収めておきたかったのかもしれません。
さいごに