【出張買取:陶器買取】九谷焼・角福
九谷焼・角福とは
九谷焼には飯田屋風、古九谷風、木米風などの様々なデザインが存在します。
その中の吉田屋風と言われる九谷焼に多く見られるものが角福(かくふく)です。
では、吉田屋風とは何か。それは、古九谷風のデザインから赤色を抜いた九谷焼で、通称「青九谷(青手九谷)」とも呼ばれています。
角福とは、青九谷の高台裏に描かれている名が四角い枠の中に「福」の銘が描かれているため角福と呼ばれています。
この角福、実は有田焼にも存在しています。
石川県と佐賀県と言う遠く離れた土地の窯で、なぜ同様の銘が存在するのでしょうか――。
角福誕生の背景
実はこの角福、作者の銘ではなく、中国磁器の影響で吉祥を意味する銘なので、自由に用いられています。
この角福は1630年代に有田焼から現れており、柿右衛門窯を始めとした様々な窯で用いられています。ちょうどその頃有田に陶芸を学びに来ていた九谷焼の始祖である大聖寺藩士・後藤才次郎が、その修行の中で取り入れたのかもしれません。
余談ですが、九谷焼はわずか50年で一度廃窯となっています。
なぜ廃窯になったのかは現在でも不明で、ただ残っている当時の九谷焼、いわゆる「古九谷」だけが残されています。
この古九谷にも角福がつけられているものもあり、それらは青手古九谷とも呼ばれています。
古九谷のデザインが有田焼の山辺田窯、楠木谷窯と一致していることから、「実は古九谷は有田焼なのではないか?」と言った説や「古九谷は後藤才次郎が九谷で絵付けだけしたもの」という説もあり、現在でも論争が起こっています。
ただ、事実として九谷焼にも角福が使用されているため、有田焼と何かしらのリンクがあったのは間違いないでしょう。
個人的には、後藤才次郎は早い段階で新しい事象を取り入れる、いわゆる当時のアーリーアダプターで、絵付けの流行の最先端を追っただけ説を主張したいですね。
さいごに