【大阪本店:骨董品買取】歌川国芳 浮世絵
武者絵の国芳
歌川国芳は江戸時代末期に活躍した浮世絵師のひとりであり、風景画として有名な「東海道五十三次絵」を描いた歌川広重と同年に生まれています。
生粋の江戸っ子として生まれた国芳は子供の頃から絵を学び、15の時に“歌川派”へ入門し、絵師となります。
国芳には長く不遇の時代がありましたが、1827年頃に文芸作品の「水滸伝」を題材として描いた「通俗水滸伝豪傑百八人之一箇」シリーズが人気となり、“武者絵の国芳”として名を馳せました。国芳ならではの、迫力があり鮮やかで華のある武者絵は、他の浮世絵師とは一線を画していたのでしょう。
また、国芳はあらゆるものを題材にして浮世絵を描いており、そして猫をこよなく愛するがゆえに“猫浮世絵師”としての顔も持ち合わせています。
自身でも常に10匹以上の猫を飼っていた無類の猫好きであったそうで、猫に浴衣や着物を着せて擬人化した、なんとも愛らしくもユーモラスな浮世絵もたくさん残されています。
反骨精神を浮世絵に乗せて
順風満帆に思われた作家生活――しかし、1830年天保の改革が断行され、質素倹約の名のもとに浮世絵も美人画や役者絵などの販売が禁止されました。そんな不遇の中、1843年国芳は「源頼光公館土蜘作妖怪図」を完成させました。
それは一見、平安時代の武将・源頼光による土蜘蛛退治が描かれてはいましたが、あくまでそれは表向きであり、実際は絵のいたるところに当時の江戸幕府批判が込められた風刺画として庶民の人気を集めました。
絵の中で妖術に苦しめられているのは頼光ではなく、国家危機にも関わらず怠惰な暮らしをしている十二代将軍の徳川家慶であり、描かれている妖怪たちは天保の改革で弾圧された自分たちの不満の具現化だと庶民たちは読み解いたのです。
幕府はこのような行いをする国芳を危険人物として尋問や始末書、罰金などを課しますが、国芳が屈することはありませんでした。
華々しい武者絵を描いた国芳自身が、江戸の人々にとってはまるで浮世絵の中のヒーローそのものに見えたかもしれませんね。
江戸時代のポップアート
国芳の描いた浮世絵のジャンルは多岐に渡ります。
特に彼が描いた絵は大胆な色使いと鬼気迫る躍動感を持った武者絵や、魚や猫をモチーフにした独創的で可愛い戯画ものまで幅広く、まさしく江戸のポップアートと呼ぶに相応しいでしょう。
浮世絵と聞くと身構えてしまいそうですが、庶民に愛された歌川国芳の作品は現代でもなお色褪せることはありません。
今見ても魅力的なものばかりですので、機会があればぜひ歌川国芳の世界観に触れてみてください。
さいごに