【京都店:絵画買取】ジョアン・ミロ リトグラフ
紆余曲折のもと
ミロは両親ともに職人の家系に生まれ育ち、そんな両親は芸術を軽蔑していたため幼少期は絵の具代すら出してもらえず、しかも両親の意向で簿記の職につくはめに。
それが元で神経衰弱となり、やっと両親からの許しが出て19歳でスペイン・バルセロナの美術学校へ行くことになります。
当時ミロの父親は、美術学校の学長にそんな息子の進捗状況を確かめに行っていたようです。それに対し学長は「息子さんは成功するでしょう」といつも返していたそう。
それを聞いた父親は喜んでいたというより、本心は兵士か僧侶になって生活費を稼ぎながら絵を描くことを望んでいたよう。もう少し息子の才能を応援してあげていたら…。
唯一の理解者・ヘミングウェイ
そんな中でも、ミロは同じスペイン出身のピカソに会いに行くなど、熱心に絵画を学び、画家への道を歩みます。
ミロの絵を見たカタルニアの画家に「これが絵画ならオレはベラスケスだ」と言われたことがあるほど、当時は理解してもらえなかったミロの色彩感覚や技法でしたが、そんな奇抜な作品を若き日のヘミングウェイがお金をかき集めて買ったといった逸話があるほど、徐々に人気画家へと転進していきます。
ヘミングウェイが買った「農園」は9ヶ月を要した大作でしたが、ヘミングウェイに出会うまでは買い手が見つからず、挙句の果てに絵をバラバラに切って売るよう言われる始末。
それにも関わらず、ヘミングウェイはこの絵の中に「スペインにいるときに感じる全てがある」とまで言っています。ミロの作品から醸し出す空気や土の匂いまで感じられたのかもしれません。
確かにこの頃からミロにしか表現できない詩的レアリスムが顕著に出始めています。
ミロならではの特色
暗い画面になりがちなシュルレアリスムを、明るく描くことができるのがミロの最大の特徴ではないでしょうか。
自由奔放な作品を多く残しているように見えますが、実は市民的で保守的なきまじめさを絵に描いたような人柄でもあり、さすが簿記の職に就いていた(自主的ではないですが…)だけありますね。
そんな性格のためか、当時のシュルレアリストからはからかわれることもありましたが、実際には皆から愛され、可愛がられていたようです。
当初は理解されがたかったミロも、今となってはオークションで29億円の値がつくほどの人気です。
これからもミロの魅力は成長し続けるのかもしれません。
さいごに
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原画・版画も問いません。
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