【博多店:陶器買取】辻常陸 飾皿
有田焼の歴史
有田焼の歴史は古く1600年代初期に始まります。
辻常陸はなんと現在15代続いており、三百数十年の歴史を持ちます。
有田の磁器は昔から献上品として栄え、辻家も同様に鍋島藩の御要窯として製作をしていました。その後、名声を上げたのが3代喜右衛門の時代、当時の霊元天皇から禁裏御用(いわゆる宮内庁御用達の意味)の要職を賜ります。
ちなみに有田焼には様々な様式・時代がありますが、鍋島藩に献上していた最高の作品を鍋島様式と呼び、その中でも皇室に献上をしていた最高の作品を禁裏様式と呼んでいます。
鍋島様式は有田焼の中でも有名ですが、有田焼が皇室と関係があると知る方は少ないかも知れません。辻家と皇室は現在に至るまで、その関係は脈々と続いているのです。
有田焼の技法
有田焼技法は様々です。九谷、柿右衛門様式、金襴手などなど……。
その中で辻家が作品に追求した技法は「染付」でした。染付は初期伊万里の時代からある有田焼の基本となる技法です。
真っ白な白磁に呉須により描かれる美しい青色の絵付け。その文様の多くは原点である中国からもたらされた文様や生き物が繊細に描かれています。
長い年月染付の技法を追及してきた辻家ですが、8代喜平次により代表的な製法が生まれます。それが「極真焼(ごくしんやき)」です。
時代は江戸時代、現在に比べまだまだ窯の焼成技術が未熟でまんべんなく焼くことが出来ていませんでした。そのため生み出されたのがこの極真焼です。作品と同じ質の鉢を作り、作品を中に入れて焼き上げることにより、内部が密閉状態となり均一に焼く事ができたそうです。しかし、この技法は作品を取り出す為にその都度鉢を割らないといけないため、次第に途絶えてしまっていた時期があります。ですが、14代辻常陸により再興された為、現在の私たちでも作品を見る事が出来るのです。
古くから天皇御用達の為、代々磁器の研究をしてきた辻家。
その研鑽された作品の数々を、是非一度見てみてはいかがでしょうか?
佐賀県の有田町で辻精磁社があり、そこで皇室へ献上された食器などを見ることができますので、有田焼のまた違った美しさを感じる事ができるかと思います。
さいごに