【京都店:絵画買取】斎藤三郎 油彩
斎藤三郎とは
斎藤三郎は昭和期の主に二科展で活躍した画家です。
幼い頃から絵画に親しみ・・・ということはなく、少し特殊な経歴から画家になった人物で、内務省へ勤務しながら東京物理学校(現・東京理科大学)へ通い、その間に本郷絵画研究所(岡田三郎助と藤島武二が設立した芸術家養成機関)で絵を学びました。
第二次世界大戦が始まると東京物理学校を中退し、戦地へ赴きます。当時23歳という若さで、生きるか死ぬかの過酷な状況へ身を投じることとなります。
自分と同世代の若者が戦死していく姿を目の当たりにした斎藤は、「生きて帰ることができたら画家になろう」と決意し、厳しい環境の中でも和紙に3000枚ものスケッチを残しました。
そして、幸運にも生還し、埼玉県の浦和にて戦地で決意した通り本格的に画業に打ち込みます。
戦後復興にフィットした画家
帰国した翌年の1946年、第31回二科展に出品した「向日葵」が初入選し、第33回では「敗戦の自画像」、第35回では「信仰の女」で特待賞を獲り、正会員となりました。その後も二科展では会員努力賞やパリ賞を受賞します。
それまでは抽象画をメインで描いていましたが、フランスやスペインへの遊学を経て、スペインの主にフラメンコの踊り子をメインに描くようになります。
その後も渡欧し、スペインに滞在し、そこに住まう踊り子たちを華麗に描き、世間から人気を博しました。
戦後の暗い時代からの脱却を象徴するような明るい色彩が、当時戦後復興に燃えた日本人の心を打ったのかもしれません。
それ以降、斎藤はフラメンコの踊り子が代表作となりましたが、戦後に描いた「敗戦の自画像」や「信仰の女」から読み取れるように、敗戦時の悲壮感、戦死した戦友への鎮魂の想いは生涯持ち続けたのではないかと思います。
明と暗のコントラストが鮮やかな画家といえるのではないでしょうか。
さいごに