interview:漆芸作家・工房ぬり松、さんvol.2
第3回目にご紹介する作家さんは、福岡市中央区六本松にて工房を構える漆芸作家・松生順さん、松生まさよさんにインタビューを行いました!
前回のインタビュー記事はこちらから
松生 順 Matsuoi Jun
1967年 北海道生まれ
1995年 東京藝術大学美術学部工芸家漆芸専攻卒業
2018年 第72回福岡県美術展「朝日新聞社賞」
九州産業大学芸術学部 非常勤講師、岩田屋コミュニティカレッジ講師
松生 まさよ Matsuoi Masayo
1969年 東京生まれ
1994年 東京藝術大学美術学部工芸家漆芸専攻卒業
1998年 第2回千總きものデザインコンペ優秀賞
岩田屋コミュニティカレッジ講師
Official HP:https://nurimatsu.jp/
――東京藝術大学を卒業されてからは?
工房ぬり松、さん(以後敬称略):その後すぐに福岡に来ました。
たまたま恩師から「福岡で仕事してみない?」とお話をいただきまして。
予備校や高校で美術を教えて生計を立てていました。
制作活動と並行してやれると思って、何も考えずに福岡に来ちゃいましたね(笑)
もちろん藝大を出たからといって(制作活動においては)全然役に立たなかったので、先ずは独学で少しずつものを造ってギャラリーの方に来て見てもらったりして。
その内に展示会のお誘いをいただけるようになりましたし、そこから本格的に展示・販売も行うようになりました。
――誰かに師事されることはなかったのですか?
工房ぬり松、:本当は伝統工芸の先生に習ったりとか、輪島塗の研修所に行ったり、そういう風に何か足がかりがあった方が良かったと思うんですが…。
当時は師事することは考えてなかったですね。
私達は在学中も苦学生で、アルバイトしながら通っていました。それ以上に教育費は出せないなと(笑)
だから働きながら何とかするしかありませんでしたね(笑)
――漆芸作家以外の道に進もうとは考えませんでしたか?
工房ぬり松、:苦労して辞めたいと思った時もあったんですけど、辞めても他に出来ることが何もないので。
もし自分に子供がいたとしたら「漆芸作家は絶対に止めておき!」って云うと思うんですけど(笑)
気が付いたらこうなってたって感じですかね。
――他に苦労されたエピソードはありますか?
工房ぬり松、:カップとかであったら、木の木地を調達してそれに漆を塗っていくんですよ。
私達は自分たちでデザインして図面を描いて、それを木地職人さんにお願いして造ってもらうんですけど、その木地師さんが福岡にいらっしゃらないっていう…それは困りましたね。
山中温泉ていう輪島の近くに轆轤職人さんが沢山いる地域だったり、あとは香川県の高松とか、ある一定箇所に集中されているんですよね。
回転体で削って丸い物を造る職人さんがいない。
四角い物を造られる指物師さんもなかなかいらっしゃらなくて…。
当時はまだネットがなかったので、電話帳で順番に「木で箱を造る」とか「木箱」とかいうジャンルに分けて片っ端から電話を掛けてました(笑)
そうすると「数が多くないとやれない」とか断られてばかりでした。
間違って棺桶屋さんに依頼したこともありました(笑)
とにかく情報がなかったですね。
最初のうちは自分たちで電動ノコギリとかを買って、自分たちで木地を作っていました。
そうしてるうちにネットが普及して、四国の職人さんとお知り合いになれたりして、色々な所にお願いできるようになりました。
――福岡では若いアーティストさんが台頭してきているようにお見受けしますが、その実感はありますか?
工房ぬり松、:それこそ30代くらいの方達が増えた気がしますね。
今でこそそういうチャレンジされている方々も多くいらっしゃいますけど、その前20年くらいは辞めていった方達の方が多くいたように思います。
代々焼物の家系を継いでらっしゃる方などは別ですけど、大学を出て焼物をやっている方はマンションの一角に小さな電機窯を買って、何度も何度も焼いてそれを展示会に出すっていう。
そうしているうちに一人辞めて、二人辞めてって…。
今は景気も少し良くなってきたこともあって、若い方でもやれる環境が出来つつあるのかもしれませんね。
クラフトフェスっていうハンドメイドの作品を売ったりする場所もあって。
ハンドメイドっていうと昔は趣味の延長というか手芸の世界だったんですけど、今はそこがボーダーレスになってて。
独学で手芸の本を見たりして制作するハンドメイド作家さんと、大学や専門学校で勉強したり、先生に習って制作するクラフト作家さんと、私達みたいに生業にしている方達との境界線が無くなってきていますね。
お客さんは、肩書きは関係なく好きなものを買っていかれますね。
vol.3へ続く…