【銀座本店:茶道具買取】飛来一閑 棗
話しは変わりますが、先日銀座を歩いていたときに和装姿の女性を見かけました。
白をベースにした涼やかな色味のお着物を着こなされ、暑いなかでも凛とした爽やかさを感じられました。
そして、その女性が持っていたのは一閑張の手提げ籠。
亜熱帯と化した日本でも季節を感じられる和装はいいですね。
さて、ここで出てきた「一閑張(いっかんばり)」というものを皆さんはご存知ですか?
一閑張とは、昔からある日本の伝統工芸品のひとつです。
そもそも何故一閑張と呼ばれているのか?
それは「飛来一閑」という人物にとても深い関わりがあることからそう呼ばれるようになりました。
今回は、一閑張の由来の元となった飛来一閑について少しお話しようと思います。
飛来一閑とは
飛来一閑とは、漆工芸の一種の「一閑張」と呼ばれる紙漆細工を作成している一族で、千家十職のひとつでもあります。
一閑張とは、竹や木で作られた枠に和紙を何回も重ねて張り、漆を塗ったもののことを指します。
その一閑張の技法で作られた棗や香合など、多くを制作されています。
歴史も古く、当代で十六代目になります。また、千家十職の中では珍しい女性の当代になります。
遡ること初代飛来一閑は江戸時代にもなるので、美術館や資料館などで飛来一閑の作品を見かけたことがある方もいらっしゃるかもしれませんね。
飛来一閑と一閑張
さて、そんな飛来一閑の名前がついている一閑張ですが、何故この名称で呼ばれるのかというと、既にお察しの方もいるかと思いますが、そうです。一閑張の技法は飛来一閑が創始者であるとされているからです。
もともとは明(現在の浙江省杭州)の出身である初代一閑は、清からの侵攻により日本へ亡命し、その時に頼った人物がお茶の世界でも有名な大徳寺の清巌和尚でした。
その清巌和尚との繋がりにより、お茶の世界とも関わるようになり、次第に小物などを作成することとなります。
そして、その美しい姿形から茶道の侘茶にふさわしいと評価され、千家十職の仲間入りとなりました。
飛来一閑という名は現在までも続いていますが、その道のりは決して平たんな道のりでは無く、幾度となく危機に陥り技術が失われそうになったこともありました。
飛来一閑の歴史は、このような歴史を経て、今に続いているのです。
さいごに
そんな飛来一閑の作品はお茶の道具といった観点だけでなく、美術品としても高い評価を受けています。
もし、飛来一閑のお品物をお持ちでしたら、その作品をぜひとも拝見させてください。
どのくらいの評価になるのか?何代目の作品なのか?そんな疑問にお答えできるかもしれません。
気になる方はぜひ古美術八光堂へお越しください。